「歌枕」を「詠む」、そして「読む」
本展示では、地元「神奈川」について書かれ、読み継がれてきた書物に焦点を当て、伝えられたイメージをたどってみました。
最も古く登場するものは、やはり「和歌」です。
そこに「歌」がある時、その歌を「詠」んだ人がいる、と同時にそれを「読」み、書き留め、伝えてきた人たちがいます。そのおかげで現代に生きる私たちも「読」むことができていると言えるでしょう。
「読む」という行為は一見、受け身な動作に思えるかもしれませんが、書かれているものを「読む」ことは、それを自らの内に取り込むという能動的な行為でもあるのではないでしょうか。
「歌枕」とは歌の表現技巧の一つで、現在では、古来多くの歌に詠みこまれた名所、地名のことを指します。歌を詠む人も、その歌を読む人も、歌に詠まれた名所を実際には見たことがない場合も、その地名によって共通に思い浮かべられてきた一つの風景です。そしてそれは後世になると「歌」を離れ、紀行文や図会、浮世絵などに描かれ、訪れるべき観光名所として知られるようになります。
本展示を通して、現代に生きるみなさまに「読」まれることで、また「歌枕」の存在が受け継がれ、次世代にまで読み継がれていくことを願っております。
はじめに
「神奈川」は「日本の縮図」とも言われ、四季の変化、山川から海、島まで日本的な風土がほぼすべて存在することが魅力の一つではないでしょうか。
県名「神奈川」は『 47都道府県・地名由来百科』(谷川彰英 丸善出版 2015)によると「上無川(かみなしがわ)」「唐川(からかわ)」「狩野川(かのがわ)」「金川(かながわ)」などから転じたなど、さまざまな説がありますが、神奈川県辺りを指す地名として多く登場するのは「相模(さがみ)」です。「相模」の由来は同事典によると、箱根の坂から見下ろす国で「坂見」という説、平地が少ないから「険(さが)み」などの説があり、神奈川一帯には「険しい山の国」というイメージがあったことが伺えます。
現在の「神奈川」は「武蔵国久良岐郡(むさしのくにくらきぐん) 」に「神奈川奉行所」が置かれたことから始まるので、「武蔵」もまた縁の深い地名です。
東海道の発達と観光とによって、神奈川一帯に「川」「海」のイメージが付され、現在の「神奈川」のイメージにつながります。
古来、多くの和歌に詠まれることで知られてきた「神奈川」の「歌枕」(名所・旧跡)を鍵に、「神奈川」のイメージをさぐってみたいと思います。
かながわ歌枕 地図
- 足柄
- 箱根
- 箱根山と箱根神社
- 土肥-湯河原
- こゆるぎの磯
- 鴫立沢
- さがむね(相模嶺)
- 大山
- とやのの(等夜乃野)
- 江ノ島
- 鎌倉山と星月夜の井
- 鶴岡
- みなのせがは
- 三浦崎
- 多摩川・多摩の横川
- 川崎
- 横濱
おわりに
『歌枕』という題の小説があります。
作者は中里恒子(なかざとつねこ)。一九〇九年藤沢市生まれ。一九三九年『乗合馬車』にて女性初の芥川賞を受賞しました。『歌枕』は一九七四年の作で、読売文学賞を受賞しています。穏やかな老境を描いた名作とされるこの作品に『歌枕』という名がつけられたことはとても興味深いです。
作者が神奈川ゆかりの人であることから、最後に紹介いたします。
鳥羽の終りの日々をしあはせにしたであらうかと思へる、狐火のやうなゆらゆらした月日。
それは神にか、仏にか、祈りに近い形で表象された束の間のまぼろしをありありと見たにすぎぬ。見ないものには、不可解なのである。......
さうぢやあない。違ふ。違ふのだと、千遍言ひ募つても、まぼろしを見ないものに、なんの役に立つであらう。
さうぢやあないんです。
違ふのです。
さうじやあないんです。
やすが繰り返すのは、ただそれだけであつた。
中里恒子「歌枕」より
旧字体は新字体に変換しています。
中里恒子 中央公論社 1981 F1N ツ?N18-14 ツ?
(12764874)より