一、「相模」と「あしがら」― 箱根から大磯へ

東国にも古く著名な温泉地は少なくないのに、万葉集に詠まれた湯は「湯河原」だけでした。鎌倉時代には「相模国土肥(どい)郷」と呼ばれていたことが分かり、現在の温泉地「湯河原」のことであるとされています。場所は現在の万葉公園の橋の上流あたりで、埋め立てられて河原はなくなってしまいました。

『万葉集画撰』
「巻十四 東歌 相聞」『万葉集画撰』
大亦観風 奈良新聞社
2000 911.12/397(22624555) より

足柄の土肥の河内に出づる湯の
世にもたよらに児ろが言はなくに
(万葉集 巻十四 3368 よみびとしらず)

【意味】
足柄の土肥の河内に湧く湯のように、けっして絶えるようには、あの子は言わないのだが。
注意:湯・・・ここでは湯河原温泉を指す。

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