四、万葉から近代へ―川崎・横浜

東海道の宿場町として知られていた川崎ですが、川崎大師の門前町としてにぎわいました。

大師河原へ行ったあと女房逃げ
(誹風柳多留 十三 8)

御尊体生木の護摩に御落涙
(誹風柳多留 一二二 11 其成 )

歌枕イメージ

明治以降は東京と横浜にはさまれ、かつ東京湾に面した地の利を得て急速に工業都市化しました。北部の多摩川岸一帯ではナシの栽培が盛んでしたが、宅地化工業化が進んで梨畑も姿を消そうとしています。

川崎に住みて恋しき赤梨の
長十郎も世にすたれたり
(「月華の節」馬場あき子)

労働者の街ゆゑタレの塩味が強し
川崎のそばもラーメンも
(「雲に紛れず」真鍋正男)

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