三、歌と観光―江ノ島・鎌倉・横須賀

東海道の発展により、海沿いの地は多くの旅人が訪れ、和歌を詠み、広く紹介されていました。とくに鎌倉は今も昔も観光地として名高く、神社仏閣から川、山、崎とあらゆる地名が和歌とともに読み継がれてきました。

「星月夜の井」は「鎌倉」を導く枕詞です。その美しい名には数々の和歌と伝説が残されています。『東海道名所図会』(前掲)には、以下のように和歌が紹介されています。

我ひとり鎌倉山を越へ行けば
星月夜こそうれしかりけれ
後堀川百首

「星月夜の井戸」風景
星月夜の井戸
手前に石碑あり
2016年10月12日撮影

北国紀行 極楽寺へいたるほどに、いとくらき山間に星月夜と云所あり。昔此道に星御堂とて侍りきなど、古き僧の申し侍りしかば、歌に、

今もなを星月夜こそ残るらめ寺なきたにの闇の灯

【意味】
今も星明りの夜が残っているであろう。
寺はなくなった谷の闇の中でも灯火(ともしび)となって。

また、「星月夜の井」には、「あるとき近所の女が誤って菜刀を井戸に落としてしまってからは星影が消滅した」という伝説が残されています。
この歌枕により、鎌倉市の旧徽章は星月夜がモチーフにされていました。

『都市の紋章』(前掲)によれば、星月夜の名の由来は「其昔し井中を窺ふと星影凉しげに映つて居たので」と説明されています。
ちなみに鉄道唱歌にも「星月夜」は歌われています。

「北は円覚建長寺 南は大仏星月夜
片瀬腰越江の島も ただ半日の道ぞかし」

「鎌倉山」や「鎌倉」という語がそのまま詠まれる歌も多くあります。

薪こる鎌倉山のこだる木を
まつと汝(な)が言はば恋ひつつやあらむ
(万葉集巻十四3433 よみびとしらず)

【意味】
薪として刈ってきた鎌倉山の繁茂した木を松だというのなら、そしてお前が待つというのなら私はこんなに恋に苦しんでいようか。

鎌倉の山あひ日だまり冬ぬくみ
摘むにゆたけき七草なづな
(「みかんの木」木下利玄(きのしたりげん))

鎌倉の五山の鐘の此処に来て
響き合ふなる松原の家
(「白桜集」 与謝野晶子(よさのあきこ))

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