公開

与謝野晶子は明治11年(1878)12月7日に大阪・堺の和菓子商駿河屋に生まれました。10歳のころから父の蔵書の古典類に親しみ始め、22歳(1900年)のときに「明星」に短歌を発表しました。以後、主な活動の場が「明星」となります。またその同じ年に与謝野寛(鉄幹)と出会い、1903年に結婚式をあげます。その後、11人の子どもに恵まれ、母親として子育てをしながら、歌人としてのみならず著作は幅広い分野で多彩を極めました。主な歌集に「みだれ髪」、「佐保姫」、「春泥集」、「白桜集」があります。明治、大正、昭和の激動の時代を生き抜いた文学者として、また一人の女性として強いメッセージを残しています。現代に生きる人びとにとっても晶子の生み出した言葉の数々は通じるものがあるのではないでしょうか。平成30年(2018)は、与謝野晶子の生誕140年の年です。今回は晶子の心情、生い立ちや家族との関係、神奈川への来訪についてわかる資料を集めました。当館では与謝野晶子に関する数多くの資料を所蔵しています。与謝野晶子の世界に浸ってみてはいかかでしょうか。

図書のとびら

紹介資料表紙 『絵画と色彩と晶子の歌 私の与謝野晶子』
持谷靖子著 にっけん教育出版社 1996 請求記号:R13.1/モチ (110842408) 女性関連資料室2公開

歌集「みだれ髪」の中には歌が色彩鮮やかに彩られています。また、雑誌「明星」には歌集や全集には見られない長原止水の表紙絵、一条成美の挿絵、前述の画家の投稿文、西洋絵画とその解説等が掲載されています。本書は、晶子や同人が挿絵、展覧会批評を盛んに行っており、西洋絵画の影響を受けていないわけはないとの著者の仮説から、当時の本の装丁・挿絵や、掲載の西洋絵画と色彩を視点にして、晶子の生涯の歌を論じた論文です。

紹介資料表紙 『与謝野晶子未発表書簡』
与謝野晶子著 昭和女子大学女性文化研究所 1991 請求記号:915.6/490 (20499802) 県立書庫

晶子が晩年に親交の篤かった近江湖雄三(こうぞう)・満子夫妻およびその家族宛の書簡が昭和28年(1953)5月に昭和女子大学にすべて引き継がれることになりました。近江満子は「女子文壇」、「処女」などに短歌や散文などを投稿していた文学少女でした。その後、近江湖雄三と結婚しました。湖雄三はドイツ留学に向かう船中で与謝野寛(鉄幹)と出会い、滞欧中に晶子とも面識を得ました。帰国後、与謝野家と近江家は家族ぐるみの親しい交流を始めます。満子も「冬柏」で歌人としての活動を展開し、晶子を助け、晶子の信頼を受けていました。本書簡は、近江家宛晶子書簡91通のほか、付録として近代文庫所蔵の鈴木券太郎宛晶子書簡1通、および森潤三郎宛ほか寛書簡11通を収録しています。また、口絵には書簡や晶子、満子の写真が掲載されています。

紹介資料表紙 『私の生ひ立ち』
与謝野晶子著 刊行社 1985 請求記号:D3/ヨサ (110140167) 女性関連資料室1公開

晶子の生まれた家のことに始まり、学校や友達のこと、幼少期・少女期の感情のゆらぎなどがわかります。また、明治前期の堺の町のたたずまいや生活の雰囲気を伺うことができます。晶子自身が幼少期の生活と心情とを素直に綴っています。『私の生ひ立ち』は雑誌「新少女」の創刊号(1915年4月)~12月号まで連載されました。また、続編として「私の見た少女」(1916年1月号~12月号)も連載され、その中の4篇も本書に加えられています。題字、装画、挿画は竹久夢二が描きました。挿絵は「新少女」に連載されたときのものをそのまま収載しています。

紹介資料表紙 『みだれ髪』
与謝野晶子著 主婦の友社 1973 請求記号:R13.1/ヨサ (110288115) 女性関連資料室2公開

本書は私家版であり、初版本の復刻版です。この中には晶子の代表作の「みだれ髪」のほか「君死にたまふことなかれ」、与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」、佐藤春夫の「晶子曼陀羅(抄)」も収められています。装丁、挿絵は日本近代洋画の牽引者として高い評価を受けている藤島武二で初版本のイメージをできる限り損なわぬように出来上がっています。『みだれ髪』は明治34年(1901)8月15日に東京新詩社、伊藤文友館の共版で出版されました。この歌は晶子の短歌の原点で、若い人々の熱烈な支持を得ました。新しい女性の生き方を模索しようとする動きがある時代の中で日本国民すべてを驚異の渦に巻き込みました。「恋ごろも」に収められた「君死にたまふことなかれ」は日露戦争の真っ只中の明治37年(1904)9月号の「明星」で発表された作品です。この詩は晶子の末の弟に向けて作られました。姉として死に直面した弟に対する負い目、そこから発する自責の念が表れています。弟を想う心をありのままに表した詩です。

雑誌のとびら

紹介資料表紙 『「お釈迦さま」は美男子か?』―鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像) 上野誠 文
『週刊新潮』 新潮社 第60巻20号 通巻2990号 2015年5月28日号 p156-157 請求記号:Z051/143

「ほとけを旅する」(第三回)に神奈川県鎌倉市高徳院の鎌倉大仏について掲載されています。与謝野晶子は鎌倉が好きで何度も訪れています。与謝野晶子が鎌倉の大仏を見た時の感想、また鎌倉の大仏の短歌「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな」(「恋衣」本郷書院、1905年)が詠まれています。

紹介資料表紙 「特集 与謝野晶子の世界」
『国文学 解釈と鑑賞』 至文堂 第59巻2号 1994年2月号 請求記号:Z910.5/16

与謝野晶子の、短歌、詩、随筆、小説、戯曲に至る幅広い業績を総合的に取り上げた特集です。与謝野晶子の魅力、教育観、夫の鉄幹と石川啄木との関係性、文体についても論じられており、雑誌の1冊すべてが与謝野晶子の特集となっています。

紹介資料表紙 「特別企画 新年対談 鉄幹・晶子、その創作の謎」 渡辺淳一/馬場あき子対談
『短歌研究』 短歌研究社 第49巻1号 1992年1月号 p40-62 請求記号:Z911.105/1

渡辺淳一が「文藝春秋」(1991年4月号~)に「君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)」という与謝野晶子を中心とした作品を連載しました。それをきっかけに、渡辺淳一と馬場あき子が与謝野晶子と鉄幹の作品、生涯について対談を行いました。与謝野晶子没後五十年を記念した特別対談となっています。

新聞のとびら

「与謝野晶子と神奈川 つながり知る企画展 県立近代文学館」
読売新聞 2018年4月18日 横浜版 p35

「女性の恋愛を詠み上げた歌集「みだれ髪」などで今も親しまれる歌人、与謝野晶子(1878~1942年)の生誕140年を記念した企画展が、横浜市中区の県立神奈川近代文学館で開かれている。旅を愛した晶子は、神奈川も幾度となく訪れ、箱根には文芸誌「明星」の同人らと例年のように吟行に来ていたという。展示では、神奈川とのつながりに触れつつ、ゆかりの品や「みだれ髪」と現代語訳に取り組んだ「源氏物語」の資料などが並ぶ。(後略)」
『生誕140年与謝野晶子展』(図録)を所蔵しています。(請求記号:K91/31/2018-3 常置 かながわ資料室書庫)

『貴重な文化財活用を 「金澤園」で100周年講演会 与謝野晶子懇意の料亭』
神奈川新聞 2016年1月23日 横浜川崎横須賀版 p18

「創業100周年を迎えた横浜市金沢区柴町の料亭「金澤園」。歌人の与謝野晶子は、眺望の素晴らしさをたたえた原稿を神奈川新聞の前身・横浜貿易新報に寄せている。22日には同店で記念講演会が開かれ、郷土史家が貴重な文化財の歴史をひもといた。(後略)」

『みだれ髪』の宣伝用?初版本奥付に発見 与謝野晶子の短歌 雑誌「明星」の広告に掲載」
神奈川新聞1998年1月15日 p19

「みだれ髪」初版本に書きつけられ、歌人・与謝野晶子(1878~1942)の未発表作品ではないかとみられた短歌が、雑誌「明星」の同歌集の広告ページに掲載されていたことが分かった。(中略)雑誌掲載は一度だけで、他の歌集などでは確認されておらず、"埋もれた"作品であることに違いはない。(後略)」 (掲載された雑誌は、明治34年(1901)7月1日発行の『明星』13号です。)

視聴覚のとびら

「日本の詩歌 与謝野晶子」
請求記号:CD64/ニホン (41246273) 2005年発売 音楽・映像コーナー公開

日本の詩歌シリーズのCDです。「みだれ髪」をはじめ、その他の歌集より「恋衣」、「舞姫」、「夏より秋へ」、詩篇には「君死にたまふことなかれ」が収録されています。2004年9月24日キング江戸川橋スタジオで録音されたものです。朗読は市原悦子、作曲は渡辺博也です。晶子の短歌、詩歌を美しい言葉で音声としてお届けし、想像力を豊かに変化させています。

インターネットのとびら

さかい利晶の杜 与謝野晶子記念館
http://www.sakai-rishonomori.com/
堺市立歴史文化にぎわいプラザ運営グループによるホームページです。利晶の杜とは千利休と与謝野晶子の世界を感じとれるミュージアムです。与謝野晶子記念館の配置図、展示の見どころが紹介されています。また、晶子のゆかりの場所や歌碑を巡る「晶子のふるさと堺めぐりコース」の紹介もあり、晶子の生家の案内も載せています。さかい利晶の杜では与謝野晶子生誕140年記念事業として企画展やイベントも11~12月に開催されます。