平成30年は伊能忠敬が亡くなってから200年目の年です。伊能忠敬といえば、江戸時代に日本中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人です。節目の年ということで千葉県香取市にある伊能忠敬記念館では記念の事業や展覧会が企画されています。記念の銅像も建立されました。かつて行われた「伊能ウォーク」やドラマや映画にも取り上げられたことを御存じの方もいらっしゃるでしょう。測量の功績もそうですが、人生後半になってから今までとは全く違うことに挑戦した意気込みにも注目したいものです。今回は、伊能忠敬に関する資料をご紹介します。
図書のとびら
『天と地を測った男 伊能忠敬』
岡崎ひでたか作 高田勲画 伊能忠敬記念館監修 くもん出版 2003 請求記号:289/イ(81020596) 県立書庫
1800(寛政12)年閏4月19日(現在の6月11日)小雨模様の朝、江戸深川から伊能忠敬は蝦夷地測量への第一歩を踏み出しました。その後の生涯をすべて測量にささげ、完成させた「大日本沿海輿地全図」は、現在の地図と変わらないほど正確なものでした。幼い頃から算法が得意で、伊能家の当主として家を収め、家督を長男に譲った後に天文暦学を学び、地球一周にも等しい距離を実測した忠敬の生涯が綴られています。著者は長年小学校の教職にあった人で、忠敬の子ども時代を詳細に書いています。また人柄についても多く触れています。人生を「もう...」ではなく「まだ...」という気持ちで歩む人がいますが、忠敬はその代表的な人物です。本書は児童向けの読みものですが、人生への向き合い方を考えるうえで大人にもお勧めします。
『忠敬と伊能図』
伊能忠敬研究会編 アワ・プラニング 1998 請求記号:448.9/118(21384615) 県立書庫
伊能忠敬の人と仕事を知るための一冊です。はじめに座談会で「伊能忠敬-人と仕事」について伊能家、国土地理院院長、伊能忠敬研究会の3人が語っています。そして「忠敬の時代」、「伊能忠敬再発見」で伊能図ができあがっていく時代背景や忠敬の人柄について書かれています。また伊能家にあった測量器具は子どものおもちゃになったなど興味深い話もあります。伊能図の種類、測量器具や測量の方法、伊能図の与えた影響について、また忠敬は生涯で四人の妻がいたのですが、その妻たちのことも書かれています。付録として忠敬が歩測を練習した道(深川から浅草)の鳥瞰図も付いています。
『伊能図に学ぶ』
東京地学協会編 朝倉書店 1998 請求記号:448.9GG/112(21060066) 県立書庫
本書は、東京地学協会が伊能忠敬生誕250年の記念事業として出版したものです。伊能図は古地図と近現代の地図との境に位置し、独特の性格を持っているそうです。その特性をさまざまな角度から(測量について、日本と世界の測量史から見た伊能図、忠敬の人間像についてなど)詳細に書かれています。いろいろな方向から見ることで、伊能図に慣れ親しんでほしいという思いで書かれています。巻末には、現存伊能図の一覧表や関連研究文献目録、伊能忠敬『測量日記抄』なども収録されています。
『アメリカにあった伊能大図とフランスの伊能中図』
アメリカ伊能大図展実行委員会編 日本地図センター 2004
請求記号:291.03NN/308(21906961) 県立公開
2001年春に発見されたアメリカ議会図書館所蔵の伊能大図模写本(明治以降制作の写し)とフランス人イブ・ペイレ博士所蔵の伊能中図の里帰り展覧会「伊能忠敬の日本地図」、アメリカ伊能大図原寸複製図の「里帰りフロア展」が行われる機会に制作されたのが本書です。このとき見つかった207面のアメリカ伊能大図は模写本ながら、国内には約60面しか存在しない伊能大図の現存数を大幅に拡大するものでした。フランスで見つかった中図は8枚もので彩色や描画がよく、完成度の高いものでした。アメリカ伊能大図とフランス伊能中図の基本的な資料として発行されました。
『江戸幕府の日本地図』
川村博忠著 吉川弘文館 2010 請求記号:291.03/327(22384150) 県立公開
地図は、軍事や旅行、行政の実務に欠かせませんが、実用目的を超えて作成すること自体が国家権力のような制度の存立や、機能、国家の営みとも密接に関わっていました。江戸幕府が諸国大名に作成させた国絵図と城絵図、地図編纂事業の目的とは。伊能忠敬までに測量技術はいかに発達したのか。明治政府に引き継がれた国絵図作成まで「日本地図」誕生の歴史を描きます。
(伊能図については『伊能図大全』 全7巻 (請求記号:291.03/332/1-7 常置 県立書庫)、『伊能図集成〈大図〉〈小図〉』(請求記号:291.03/287 常置 県立書庫)もあります。)
雑誌のとびら
「アイデアを形にした愚直な努力家 伊能忠敬」 松尾 潤 著
『企業診断』 同友館 第59巻第8号 2012年8月 p60~63 請求記号:Z335/512
この記事は「偉人に学ぶビジネススキル」という連載の一回として仕事をする中で浮かんだアイデアをどのように形にしていくのか、伊能忠敬を例にとって書かれています。好きで始めた天文学が、幕府事業となっていくまでに何があったのかポイントがいくつかあげられています。現代社会では必ずしも当てはまるとは限りませんが、ひとつの考え方として参考になるかもしれません。
「地図作りに賭けた隠居後 伊能忠敬」 田中真澄 著
『歴史と旅』 秋田書店 第28巻第8号 2001年8月 p100~105 請求記号:Z210/510
老後をどう過ごすかという観点から忠敬の生き方を見ています。「一生をして二生を生きる」を具現化した忠敬の人生に学ぶ教訓をいくつかあげ、人生百年をどう生きたらよいのか考えています。この記事は「老後もまた楽し-長寿快老の達人たち」という特集の中のひとつで、ほかにも老後を充実して過ごした人物のことが書かれています。
「伊能忠敬が全国測量に出た理由」
『kotoba』 集英社 2015年秋号 2015年9月 p122~125 請求記号:Z051/904
伊能忠敬の生まれから、幕府天文方の高橋至時に弟子入りし全国測量に至った経緯、その測量方法。そして幕府や明治政府がその地図をどのように利用したのか。当時の水準をはるかに上回る日本地図を作った伊能忠敬の人物像、生きた時代、100年もの使用に耐えた伊能図について書かれています。この雑誌は「地図を旅する」という特集で、他にも古地図や地形図マニア向けの稀少図など地図の世界へ旅できます。
新聞のとびら
「伊能図使ったロードマップ 県立歴史博物館で確認 東海道、色鮮やかに」
神奈川新聞 2007年7月27日朝刊 p21
「江戸時代の測量家、伊能忠敬(一七四五-一八一八)が作成した詳細な日本地図「大図」(三万六千分の一)を基に、幕末から明治初期に作られたとみられる東海道の「ロードマップ」が二十六日、県立歴史博物館(横浜市)で確認された。伊能忠敬研究会名誉代表の渡辺一郎(77)さんが鑑定した。(後略)」
「伊能忠敬の足跡 後世に 没後200年 湯河原に記念の標柱 宿泊した向笠家など3か所」
東京新聞横浜版(全紙製本) 2018年4月16日朝刊 p16
「江戸時代の測量家伊能忠敬が日本地図を作るために宿泊した湯河原町吉浜のミカン農家向笠進さん(八一)方など町内3か所に、記念の木製標柱(一・五メートル)が立てられた。没後二百年となる命日の十三日、向笠宅前で二百年忌追悼説明会を開催。町によると、忠敬関連の行事は町内初という。(後略)」
「伊能図 出回っていた?」
朝日新聞 2018年6月4日朝刊 p27
「没後200年を迎えた江戸時代の測量家、伊能忠敬(いのうただたか)(1745~1818)。日本初の実測によってつくられた日本地図は、その精巧さから幕府の禁制品だったとされてきた。だが、最近の研究で民間知識層に広まっていた可能性も浮上している。(後略)」
インターネットのとびら
伊能忠敬記念館
https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/museum/index.html
伊能忠敬旧宅の向かい側にある記念館は、1998(平成10)年に建設されました。所在地の千葉県香取市佐原はかつて水運を利用して「江戸まさり」といわれるほど栄えた町で、関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれました。記念館では、忠敬個人のことはもちろんさまざまな地図のおもしろさ、不思議さをみることができます。