宮澤賢治の作品は、楽隊や楽団員が登場したり、実際にある楽曲が使われたり、自作の詩にメロディがつけられていたりなど、音楽と密接な関係があるものが多く遺されています。また賢治は、たくさんのクラシックレコードを所有するレコードコレクターでもあり、農学校教諭時代から人を集めてレコードコンサートを催すこともしばしばありました。 11月24日に開催した当館主催のレコード鑑賞会『宮澤賢治と音楽』では、宮澤賢治が当時実際に聴いていたクラシック音楽を取り上げましたが、これと関連して、賢治と音楽との関わりについて、さらには明治・大正期の日本のレコード事情にまつわる資料をご紹介します。
図書のとびら
『日本近代文学と西洋音楽 -堀辰雄・芥川龍之介・宮澤賢治-』
井上 二葉 著 丸善仙台出版サービスセンター 2002
請求記号:910.26/2114(21627955) 県立書庫
近代文学作家と音楽の関係性を論じた一冊。宮澤賢治については、賢治が愛好していたベートーヴェンの「交響曲第九番《合唱付》」と、童話『銀河鉄道の夜』の関係を取り上げています。貧困や孤独といったベートーヴェンの抱えていたさまざまな悩みへの共鳴、ベートーヴェンが愛読していたというプラトンの哲学が、作品の登場人物像や作品世界に影響をおよぼしているとしています。また物語に現れるドヴォルザークの「交響曲第九番《新世界より》」では、その曲の元となったアメリカの詩人H.W.ロングフェローの詩『ハイアワサの歌』と『銀河鉄道の夜』との関連についても論じられています。
『チェロと宮澤賢治 ゴーシュ余聞』
横田 庄一郎 著 音楽之友社 1998 910.26GG/1648(210606052) 県立書庫
『セロ弾きのゴーシュ』という作品がありますが、宮澤賢治は自身もチェロを手に入れ、演奏の練習を行っていました。本書では、チェロを手掛かりとして、賢治と音楽にまつわるさまざまなエピソードを、文献資料や写真とともにじっくりと深く読み解きます。レコードに関するものもいくつかあげられ、農学校の教え子にベートーヴェンの「運命」(フルトヴェングラー指揮、1926年録音)のレコードを聞かせたこと、徴兵検査に合格した教え子に、五枚組のレコードを贈ったことなどが書かれています。
『日蓄(コロムビア)三十年史』
日本蓄音器商会1940 請求記号:769/11 (11772555) 県立書庫
「日蓄(日本蓄音器商会)」とは、現在の日本コロムビア株式会社です。明治29年(1896)横浜市山下町で、アメリカから来日したばかりのF.W.ホーン氏と横濱共同電燈の植木萬里氏が出会ったことから始まったこの会社は、輸入商を営むホーン商会を経て、明治40年(1907)川崎に日米蓄音機製造株式会社を設立。明治43年(1910)には日本蓄音器商会が創立されています。同年に日本初の国産の蓄音機が発売され、価格は25~35円でした。 同社では、長唄や謡曲、義太夫など当時の芸術家を網羅し原盤に収めていたとありますが、宮澤賢治の祖父が好んで聞いていたという義太夫のレコードもこれらだったのでしょうか。浪速節の吉田奈良丸、義太夫の豊竹呂昇などは売り上げ実績も高かったと記されています。
『日本レコード文化史』
倉田 喜弘著 東京書籍 1979 請求記号:769L/37(11773017) 県立書庫
明治12年(1879)に日本にフォノグラフ(音声記録装置)が登場して、10年足らずで蓄音機が各地に広まっていきます。こうした機器の始まりから、時代ごとに円盤に吹き込まれた演目、時代背景や各レコードメーカーの動向などが、新聞や雑誌記事などから丹念に読み取られ、記録されたのが本書です。レコードからカセットテープ、CDなどを経てネット配信の時代となった今、非常に貴重な資料といえます。 本書では、SPレコードのコンテンツとして洋楽が興隆していく中、大正13年(1924)にベートーヴェンのレコードが話題になったとの記述があります。イギリスやドイツから交響曲のレコードが輸入され、楽器店ではレコード音楽会も開かれました。宮澤清六氏の著書、『兄のトランク』(筑摩書房 910.28W/1571)では、ちょうど同時期にベートーヴェンのレコードを手に入れた記述があり、二つの資料から賢治は発売して間もない洋楽のレコードをいち早く手に入れていたことがわかります。
雑誌のとびら
「特集 宮沢賢治童話の再検討」
『国文学 解釈と鑑賞』 至文堂 第71巻9号 2006年9月号 請求記号:Z910.5/16
本誌が発行された2006年は賢治生誕110年ということで、童話作品を中心にした特集が組まれています。この中で、巻頭の渡部芳紀氏の「宮沢賢治―童話の魅力」では、賢治文学の持つ音楽性の魅力について触れています。 また豊田英文氏が論じた「宮澤賢治の音楽」では、賢治と音楽の出会いについて、幼いころに聞いた経文や唱歌、浅草オペラ、ベートーヴェンの「運命」などさまざまな音を取り上げ、賢治作品に現れる音の意味するところを解きほぐすことで、賢治の世界が明らかになり、またこの過程が鑑賞の楽しさでもある、としています。
「『宮澤賢治の聴いたクラシック』を聴く」
(宇野功芳の見たり、聞きたり 16) 宇野功芳 著
『レコード芸術』 音楽之友社 第877号 2第24巻8号 第63巻第4号通巻763号 2014年4月号 p53~56 請求記号:Z769/13
2013年に、宮澤賢治所蔵のレコード音源を復刻収録した『宮澤賢治の聴いたクラシック』(萩谷由貴子著 <当館未所蔵>)というCD付きの書籍が小学館より発売されましたが、この音源を宇野功芳氏が音楽評論家の視点から聴き、感想を述べています。当時の演奏そのものもリズムやテンポがやたらに遅かったり早かったり、また録音技術もけして良いものとは言えませんでした。しかしクラシック音楽を初めて聴いた賢治にとっては、これこそが音楽であり、またここから作品のイメージを広げていったのでしょう。 なお、このシリーズエッセイでは、第19回(2014年7月号)に、これらのレコード録音年に関する著者の疑問についての後日談を掲載しています。
新聞のとびら
「本邦製唯一の蓄音器(ニツポンノフヲン)現る!!!」(新聞広告)
横濱貿易新報 1910年3月5日 第3184号 p8
「本器は日本蓄音器製造會社に於て老練なる外國人技士が監督の下に製作せられたる舶来に勝る唯一器也 定價金貳拾五圓以上各種 音譜最近吹込の分全備せり 定價金壹圓以上各種 馬車道通り 市内特約店 西川樂器店」
『日本レコード文化史』(前出)には、蓄音機ニッポノフォンの第一回発売が明治43年(1910)4月とあります。その前月に出された告知広告とみられます。 広告記載の店舗は、国産オルガンの製造販売を行っていた西川楽器店の直営販売店。これについては『オルガンの文化史』(赤井励著 青弓社 763.3DD/101)に詳しい記述があります。
「蓄音機とSPが語る レコード発祥地 日本コロムビアが寄贈 川崎のマンション 「産業文化財」に登録 ギャラリー常設」
東京新聞 朝刊 2019年5月22日 p18
「日本で初めてレコードを製造した日本コロムビア川崎工場があった縁で、「レコード発祥の地」とされる川崎市川崎区港町のマンションに、蓄音機やSPレコードなどが同社から寄贈された。(中略)寄贈されたのは一九一一年発売の蓄音器『ユーホン1号』とSPレコード▽アナログレコードプレーヤー『DENON DP-70L』とLPレコード▽世界的なヒット商品になったCDプレーヤー『DCD-1500』とCD―の三セット。ユーホン1号は国産初のホーン内蔵型蓄音機。ぐっと小型化され、宮沢賢治も愛用していたとされる。(後略)」
視聴覚資料のとびら
『宮澤賢治と音楽』
佐藤泰平 解説・制作 パンプオルガンの会 [2010] 請求記号:CD64/ミヤサ (41358409)音楽・映像コーナー公開
宮澤賢治の幼児期の音楽体験から、作品に現れる音楽、また方言作品の朗読や、賢治の弟・清六氏の歌と多岐にわたる賢治と音楽との関わりを、語りと音楽で収録したCD6枚組の作品。佐藤泰平氏は賢治が聴いた、あるいは聴いたとされるSPレコード約500枚を収集されていていました。このCDにも、賢治所蔵のレコードと同じ楽曲(メンデルスゾーン「春の歌」)などが収録されています。
インターネットのとびら
The Great 78 Project(英語)
https://archive.org/details/78rpm
運営会社のインターネットアーカイブ(Internet Archive)は世界中のウェブ情報を代表とするさまざまなデジタル情報をアーカイブしている非営利法人。この「The Great 78 project」では、破損しやすいSPレコードの音源を収集し、デジタル化して公開、保存するプロジェクトです。現在21万件以上のデジタル音源がアップロードされていて、ダウンロードも可能です。