公開

神奈川県立図書館のある紅葉ケ丘の周辺を歩いていると、いくつもの記念碑に出会います。普段は風景に紛れて気に留めていなかった石碑を、図書館の資料でひも解いてみると、ちょっと昔の横浜の姿を生き生きと感じることができます。また、名所と呼ばれる場所が、お互いに歴史的なつながりを持ったものだった、といった発見もあります。
夏も終盤、これから散策にも良い季節が訪れます。図書館を利用される際に少し足をのばして、紅葉ケ丘散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか。

図書のとびら

紹介資料表紙 『幕末 五人の外国奉行 開国を実現させた武士』
土居良三著 中央公論社 1997 請求記号:K25/170 常置 (60204005)
かながわ資料室公開

紅葉坂を上り、神奈川県立図書館(以下当館)へと続く青少年センターの入口に「神奈川奉行所跡」の碑があります。安政6年(1859)、寒漁村であった横浜村を貿易港とするにあたり、行政、司法の中心奉行所が町全体を見渡せる戸部に作られました。これが神奈川奉行所です。初代外国奉行に任じられたのは水野忠徳、永井尚志、井上清直、堀利煕、岩瀬忠震。5人が揃って外国奉行であった時期はごくわずかでした。本書では、ほとんど名の知られていない彼らの軍事外交面で果たした功業と、悲運のうちに没した後半生が描かれています。

紹介資料表紙 『ディアス・コバルビアス 日本旅行記』(新異国叢書 第II輯7)
ディアス・コバルビアス著 大垣貴志郎・坂東省次訳 雄松堂出版 1983
請求記号:210.18/54-2/7(10366698) 県立書庫

「神奈川奉行所跡」の碑から坂を少し下った植え込みの間に、「金星太陽面経過観測記念碑」があります。明治7年(1874)、金星が太陽と地球のちょうど間に入り、太陽面を黒い影となって通過する天体現象が起こりました。これを観測するために、世界各国から観測隊が来日。紅葉坂の碑は、メキシコから来たディアス・コバルビアス率いる観測隊が野毛を拠点としたことを記念したものです。
本書は観測所の設置に際する日本とのやり取りや、観測方法について詳細に記録されています。また、当時の日本の生活習慣、衣服・建築物などの文化や、観測所のあった野毛山、伊勢山を始めとする日本の風景が細やかに記され、コバルビアスの感じた新鮮な驚きが伝わる見聞録となっています。

紹介資料表紙 『高島嘉右衛門 横浜政商の実業史』
松田裕之著 日本経済 評論社 2012 請求記号:K28.1/579 タカ 常置 (60602687)
かながわ資料室公開

紅葉坂のふもとの音楽通りにある、横浜市立本町小学校の敷地内に、1本のガス灯が立っています。明治の実業家、高島嘉右衛門は、瓦斯(ガス)灯建設に向けて横浜在住の8人の有力実業家とともに合資会社日本社中を設立しました。ここは、瓦斯製造所が建設された「日本瓦斯事業発祥の地」です。
本書では、事業の建設権をめぐる攻防、嘉右衛門の強気な事業展開、成功と栄誉、そして失敗にいたるまでが語られます。また異人館建設や横浜海面埋立、旅館や学校の開設など、嘉右衛門の多岐にわたる事業が紹介されています。

紹介資料表紙 『祖父 パーマー ―横浜・近代水道の創設者』
樋口次郎著 有隣堂 1998 請求記号:289.3GG /1369 (21084272) 県立書庫

紅葉ケ丘から少し足をのばして野毛の切通しを下った先に、野毛山公園があります。公園内に、現在は立入禁止となっている旧野毛山配水池があり、そのそばにヘンリー・スペンサー・パーマーの碑があります。英国人パーマーは、横浜水道の監督工師として来日、明治20年(1887)に日本最初の近代水道を完成させました。本書は、土木事業を専門とし、水道、築港などさまざまな分野で業績を上げたパーマーの生涯を、彼の孫にあたる樋口次郎氏が綴ったものです。
なお天文学にも造詣の深かったパーマーは、コバルビアスと同じく金星太陽面経過観測のためニュージーランドに赴いていたという記述もあります。

紹介資料表紙 『グラフィック西 ―目で見る西区の今昔―』
西区郷土史研究会編 西区観光協会 1981 請求記号:C3.3/ニシ (110060100) 女性関連資料室1公開

昭和54年に発足した西区郷土史研究会が、横浜市西区に営み続けた人々の足跡を、目を通して学んでもらおうと2年半をかけて制作したのがこの『グラフィック西』です。本書の「II地区のいまむかし」の章の中の「現代のよこはま道・戸部付近」では、昭和初期の頃の野毛坂や紅葉橋の写真が、また「伊勢山・掃部山の今昔」では本書刊行当時(昭和57年)の当館の写真も掲載されています。「IIIくらしいまむかし」の章では、行事や節目などに撮影された懐かしい昭和の人々や当時の風景などが掲載され、貴重な資料となっています。

雑誌のとびら

紹介資料表紙 「井伊直弼と掃部山公園 神奈川回国歴史雑記87」 渡部仁 著
『かながわ風土記』 丸井図書出版 第218号 1995年9月号 p18~27 請求記号:ZC/775

神奈川県立図書館のすぐ北側に、掃部山(かもんやま)公園があります。掃部山の名は、日米修好通商条約を結んだ井伊直弼の官位である「掃部頭(かもんのかみ)」が由来となっています。公園の中心には井伊直弼の銅像が立っていますが、このコラムでは、歴史を大きく動かした直弼の人物像を紹介しています。著者は「歴史は常に勝者の主張によって決まる」と書いていますが、直弼も時代や立場などによって評価のわかれる人物の一人でした。そんな直弼の銅像が見守る掃部山公園は、遊具や和風庭園もあり、春には高台からランドマークタワーと桜が一度に臨める名所として知られています。

「戸部の丘陵地帯」 村上博通 著
『西区郷土史研究会会報』 西区郷土史研究会 第6号 1992年3月 p4~6 請求記号:ZC/1386

前述の『グラフィック西』の制作も行った、西区郷土史研究会の主催で、平成3年から4年にかけて横浜市西区の歴史散歩が開催されました。その記録として、本記事では明治の頃の野毛山・伊勢山・掃部山の周辺を紹介しています。神奈川奉行所、横浜軍陣病院、また当館の向かいに位置する伊勢山皇太神宮の成り立ちや、野毛の水道道についても触れられ、当時の様子が偲ばれます。

新聞のとびら

「近代様式の粋を集めて 蔵書七千余 あす県立図書館ひらく」
神奈川新聞 1954年11月9日 p3

「広く明るいサロンのような図書室に木の香も新しい書架、テーブル、イスが整然とならび新装成った横浜市紅葉坂の県立図書館では、館員が書籍を書架に並べるのに忙しい。近代的なイスには、赤、黄、緑、ネズミと色もあざやかなクッションが敷かれ、読書気分を満点にしようというネラい。現在の蔵書は七千二百冊、このうち緊急でない本千五百冊はラセン階段、エレベーター二台、排風装置のある立派な書庫にしまい、残り五千七百冊が第一陣としておめみえする(後略)」

「歴史あるブラフ積み」
東急沿線新聞 第1440号 1997年7月11日 p4

「掃部山公園(横浜市西区紅葉ケ丘五七)は、大正三年に旧彦根藩の井伊家から寄贈されたが、その外周一部に明治初期に築造されたと思われる土木遺構の「ブラフ積み」の石積み擁壁があった。安全性のため整備の必要が生じたが、歴史を今に伝えるものとして保存・復元の要望があったため、この石積みをいったん解体し、もとの石を再利用して、このほど復元工事を終えた(後略)」
当館周辺では、掃部山公園の擁壁のほかに、野毛の切通しの「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁」「間知石風割石練積」など珍しい石積みを見ることができます。

視聴覚資料のとびら

『西区制70周年記念DVD 区政70周年 1944→2014』
西区制70周年記念「温故知新」魅力アップ事業実行委員会 2014 (15分) 請求記号:DV26/ニシク 常置 (41354382)
音楽・映像コーナー公開<館内視聴のみ。貸出できません>

昭和19年(1944)に横浜市中区から分区し、平成26年(2014)に区制70周年を迎えた横浜市西区。これを記念し、「温故知新」をキーワードにまちの歴史を振り返りながら、区内に数多く存在する歴史や文化芸術スポットなどの魅力を内外に発信しようと作成されたプロモーションDVDです。地域資料のため貸出は行っていませんが、館内で視聴することができます。

インターネットのとびら

西区歴史さんぽみち
http://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/miryoku/rekishikaido/
横浜市西区のウェブサイトの中で、「西区の観光スポット」として、「西区歴史さんぽみち」が紹介されています。当館付近は、開港にあわせ開かれた、旧東海道から平沼橋を経て関内に至る横浜道の道中に当たります。こちらではPDF形式の地図とパンフレットがダウンロードできます。

横浜絵葉書データベース
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/index.html
日本大通り駅からすぐの場所にある横浜都市発展記念館のウェブサイト。この中の「横浜絵葉書データベース」では、記念館のコレクションである、大正から昭和戦前期を中心とした横浜の風景が描写された絵葉書を閲覧することができます。「野毛・伊勢山」のページでは、当時の伊勢山皇大神宮や、現在とは異なる、戦前建てられた井伊掃部守像のある掃部山公園の絵葉書が掲載されています。