新年あけましておめでとうございます。昨年来の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な大流行は、一向に収まる気配をみせず、現在も甚大な社会・経済的影響を及ぼしています。年頭にあたり、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、1日も早い事態の収束を祈念したいと思います。
さて、こうしたコロナ禍にあって、注目されたものの一つに、在宅勤務やリモートワークなどがあります。こうした在宅勤務等は、パソコン、タブレット・スマートフォン等の情報端末や、インターネットなどの情報インフラの普及した今日だからこそ、可能になったものと思われます。コンピュータやICTの進歩は、正に日進月歩であり、近年は、人口知能(AI)が生活のさまざまな面で活用されつつあります。AIを活用することで、我々の生活は益々便利になると思われますが、一方で、AIが、将来的に人間に取って代わる職業が想定されるなど、今後、AIの進化・進展等に伴う大きな社会変革・変動なども予想されます。
こうした「AI時代」を、我々がいかに生きるべきかについては、今後、大変重要な課題となってくると思いますが、今から、約半世紀前に書かれた本の中に、そのヒントがあるのではないかと思います。それは、社会心理学者、哲学者として多くの著作を残した、エーリッヒ・フロム(1900~1980)が、その晩年に著した『生きるということ』 (原題:TO HAVE OR TO BE)です。
原題を直訳すると「持つことか、あることか」となりますが、フロムは、人間存在の様式として「持つこと」と「あること」を設定し、この本の中でそれぞれの特徴を解き明かしていきます。「持つこと」は、知識、財産、名誉等を所有することに価値を見出す生き方であり、今まで人類が歩んできた中で、とくに西欧を中心とした、近現代の価値観そのものと言えるかもしれません。一方、「あること」とは、それと対極をなす考え方で、所有は目的ではなく手段であり、自己の自発的な意思を前提とする行動や態様等に価値を見出す生き方です。「知」や「知識」を例にして、ごく単純化して言えば、「持つこと」は、「知識を持つ(蓄える)」ことであり、「あること」は「知的である」ということになりましょうか。
もとより、「知」を蓄えることに関して、人間は、コンピュータに到底かなわず、AIの登場等により、コンピュータは、今や「知」を活用するような段階にまで達しています。一方、AIは、物事の意味付けや価値付けは不得手とされています。したがって、意味や価値を決めるのは、最終的に人間であるわけですが、それは、「人間らしさ」を求める中で、生まれるものでなければならないと考えられます。昨年、生誕120年を迎えたフロムは、人と人との繋がりのあり方や、人と社会との関係性などをとおして、根源的なヒューマニズムを生涯に亘って探求し続けました。この本は、彼が晩年に達した、人間らしく生きるための境地を著したもので、先行きが見通せない、これからの時代を生き抜くための知恵として、あらためてその意義等が問い直されるべきではないかと思います。
県立図書館長 松井 聡明