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本の表紙画像(『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』藤原辰史著)バッハのシャコンヌを聴いていると、一つの音が終わりであり始まりであること、そして旋律でもあり和音でもあることを感じる瞬間があります。そこでは一つの音を聴く意識と旋律を聴く意識が同時に働いているということではないかと思います。「分解」という概念が幾層にもわたって説かれて(解かれて)いくのを読み進めるうち、私が連想したのは音楽の中にあって、分解された最小単位である一音の煌めき、揺らぎ、その豊饒さといったものでした。

小学校に入学してまだ間もない頃、新しく買ってもらった下敷きに傷をつけてしまいました。でもその傷がなぜか自分だけの印のように感じられ、それによって初めて下敷きが自分のものになったような感覚を覚えた古い記憶があります。新しいものに囲まれている息苦しさ、とでも名付けたらいいのでしょうか、最新でより使いやすく、見た目も美しい物たちに対する憎悪のようなものを感じたことはないでしょうか。この世界を支えているのは「生産」であり足し算、掛け算の発想であって、生産が奉仕する「消費」は視野に入れられているものの、次の生産の材料は一体どこから湧いてくるのでしょうか。目に見えない、否目に触れさせないところで粛々と営まれている「分解」がそれらを支えているのだということ。その「分解」がいかに賑やかで、美しく、また豊かなものであるかを、著者はさまざまな相から解きほぐしていきます。動物の死骸が昆虫や微生物によって土に還っていく様、廃物を利用して子どもたちを楽しませてくれるおもちゃを作るおじさん、積み木を積んでは崩す(分解する)ことを楽しむ子ども、腐敗しない人間がかえって美から遠のいてしまう世界を描くカレル・チャペックの小説。

著者はけっして生産に向かうのと逆ベクトルの発想を賛美しているわけではありません。持続可能な社会を目指しているわけでもありません。「自らも分解者であると自覚」すると、重層的なものの見え方が広がるような気がします。それはおのずと「待つこと、委ねること」を招くのではないでしょうか。またそれは、バッハの中にさまざまな音と景色を見出すのと同種の意識の働きなのではないでしょうか。

『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』 藤原辰史著 青土社 2019年
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(県立図書館:高校時代のあだ名はマヤ)