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本の表紙画像(『日本語の古典』山口仲美著)人は、古典に戻るといいます。変わらぬ人間性、普遍なるものを求める気持ちが古典へと向かわせるのでしょうか。本書は、日本古典への入門書であると同時に、使われている言葉に着目して、その魅力に迫っていきます。

まずは『日本書紀』、漢文体で書かれた歴史書です。その、堅いイメージの記述の内、とくに「大化の改新」が記された巻24を取り上げています。蘇我入鹿を討つ場面で、決行に臨んだ者たちが、恐怖のあまり、唾液が出ず、水で飯を流し込んだものの嘔吐してしまったとか、決行後に庭が雨で水浸しとなり、敷物や屏風で入鹿の屍を覆ったことなど、具体的で迫力ある場面描写に圧倒されるとし、これは真相を具体的に記した資料を基にしたのではないか、かぎりなく記述の背後を探りたくなる歴史書であるとしています。

『蜻蛉日記』では、「つれなし」→「つらし」→「憂し」という言葉の変遷を通して、夫婦仲が悪くなっていく様子を、わかりやすく示しています。
『枕草子』で清少納言は、現代で言うと「うまい」を「うめー」などとする、縮めたり、訛ったりする発音を嫌いました。しかし一方では、下品な言葉、悪い言葉でも、本人が心得たうえでわざと使うのは認めています。また、他人に聞かれても聞き苦しくない会話をすべきだと考えていて、「相手や場面や効果を考えて、言葉というものは使うもの」とも言っています。言葉遣いのマナーも、古今東西変わらないものだということを、あらためて考えさせてくれます。

他にも、すぐれたドキュメンタリーとして鴨長明『方丈記』、450年前から愛されている翻訳文学である『伊曾保物語』、寝転がって、斜め読みして始めて文章の良さに気づいたという井原西鶴『好色一代男』、いやでも登場人物に感情移入させられてしまう力を持ったリズミカルな文章の近松門左衛門『曾根崎心中』など、どれもこれも原典に触れたくなるものばかり紹介されています。

普遍的な魅力を持つ古典を、日本語という「言葉」の切り口からとらえた本書を手に取っていただけたらと思います。

『日本語の古典』 山口仲美著 岩波書店 2011年
資料番号:22487706 請求記号:910.2/311 OPAC検索

(県立図書館:餡子)