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新着資料から

『小田急沿線ディープなふしぎ発見 じっぴコンパクト新書 344』
浜田弘明監修 実業之日本社 2018年[K68/613]

本書は平成27年(2015)に出版された『小田急沿線の不思議と謎』[K68/537]の第二弾にあたるものです。タイトルから小田急線の電車と駅に関する知識を集めた書籍と思われがちで、もちろんそういった情報も含まれてはいます。しかし二宮金次郎像や箱根温泉の泉質など、鉄道とは直接関係のない歴史や地理のエピソードも盛り込まれているのが本書の特長です。また、鉄道の範囲においても小田急線の枠にとらわれず、系列の江ノ島電鉄や大山ケーブルカー、果ては特急が乗り入れているJR御殿場線にまで話が及んでいる点は、大変興味深いものがあります。さらに、かつて県内を走っていた小田原馬車鉄道、豆相人車鉄道、湘南軌道の歴史についても触れています。
沿線住民のかたなら、過去の情報だけでなく、未来の情報も気になりますよね。本書では、多摩線や多摩都市モノレールの延伸線についても解説しています。それらの地域が将来、どう変わっていくか想像しながら楽しんでください。

『戦国江戸湾の海賊 北条水軍vs里見水軍 シリーズ・実像に迫る 016』
真鍋淳哉著 戎光祥出版 2018年[K24/532]

「海賊」というと、航行する船を襲って財物を略奪することを生業とした集団、と思われがちですが、本書における海賊とは、水軍と呼ばれる海上勢力のことを指しています。実際、戦国期の史料には「浦賀定海賊」などといった呼称が見られます。本書によると戦国期の江戸湾(現在の東京湾)では、三浦半島の北条水軍と房総半島の里見水軍がしのぎを削っていたということです。
本書では、まず北条水軍と里見水軍の攻防を解説し、そこに上杉氏が大きく影響を及ぼしていることを示しています。次に、北条氏が紀伊の海賊衆である梶原氏を迎え入れ、三浦半島の防御を固めていく歴史を振り返ります。さらに、まとまった史料が少ないため不明な点が多い、謎の里見水軍について触れています。加えて、県内の各地に残る、海賊にまつわる伝承についても紹介しています。

新着の神奈川資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者名 出版者 出版年 請求記号
室町遺文 関東編第1巻 自応永元年〈一三九四〉至応永八年〈一四〇一〉 石橋一展・植田真平・黒田基樹・駒見敬祐・杉山一弥編 東京堂出版 2018 K24/533/1
鎌倉遺文研究 第41号 鎌倉遺文研究会編 鎌倉遺文研究会 2018 K27/75/41
戦国北条家一族事典 黒田基樹著 戎光祥出版 2018 K28.7/118A
大船本 エイムック 4084 我が街の暮らしを3倍楽しめる本 枻出版社 2018 K291.4/467
楽しい学びの園で かわさき市民アカデミー編 かわさき市民アカデミー 2018 K37.21/378
国道16号線スタディーズ 二〇〇〇年代の郊外とロードサイドを読む 塚田修一・西田善行編著 青弓社 2018 K68/611
江ノ電のある風景 写真でたどる江ノ電40年の歩み 須藤武美・野口雅章著 江ノ電沿線新聞社 2018 K68.4/61
南端 South End 有高唯之著 Christian Storms訳 PHP研究所 2018 K74.33/1
時は待ってくれない 100年インタビュー保存版 小田和正著 PHP研究所 2018 K76.1/131
「湘南ポップス」メモランダム 松生恒夫著 彩流社 2018 K77.53/18
激戦神奈川高校野球 新時代を戦う監督たち 大利実著 インプレス 2018 K78/326
神奈川ドリル 脳と郷土愛がみるみる目覚める新感覚パズル 都道府県地域パズル研究会編 三才ブックス 2018 K79/41

うちのおたから自慢

『沿革概要』
小田原電気鉄道株式会社編 1923年[K68.7/4]
付図 「小田原電気鉄道株式会社電燈電力供給区域一覧図」
「強羅土地地割図」

箱根登山鉄道株式会社は今年、前身である小田原馬車鉄道株式会社と小田原電気鉄道株式会社の時代を含め、創立130 周年を迎えました。本書は小田原電気鉄道株式会社が創立35周年を迎えた際に出されたもので、強羅の紹介、重役の変遷などについて記されています。
明治20年(1887)に幹線鉄道は、国府津まで開通しましたが、当時の技術では箱根を通すことが難しかったため、御殿場を経由するルートが採択されました。その結果、小田原・箱根は鉄道が通らなくなったため、地元の有志7人が発起人となって、明治21年(1888)、小田原馬車鉄道株式会社を設立します。この発起人の中には、二宮尊徳の門弟だった福住正兄の次男・九蔵や、三男である正三の養父・二見初右衛門がいます。工事は7か月で完了し、国府津-湯本間で開業しました。しかし馬蹄で路線が傷んだり、疫病で馬が倒れたり、餌代がかさむなどの問題が起きます。そのような時期に、明治23年(1890)の博覧会で出陳された電気鉄道を見た社長・田島正勝は、感銘を受け、株主総会で鉄道の電化を提案します。明治29年(1896)には電気鉄道敷設の免許を取得し、社名も小田原電気鉄道株式会社に変更となりました。電化工事は明治32年(1899)から行われ、水力発電所も湯本茶屋に新設されます。こうして明治33年(1900)に運転が開始されました。
その後、小田原電気鉄道株式会社は、大正8年(1919)に湯本-強羅間で登山鉄道を開通させます。同社は、明治44年(1911)から強羅を別荘地として開発し、分譲しました。また、造園の第一人者である一色七五郎の設計により、大正3(1914)に強羅公園を開園させています。

「沿革概要」 「電燈電力供給区域一覧図」 「強羅土地地割図」

写真(左) 『沿革概要』表紙
写真(中央) 付図「小田原電気鉄道株式会社電燈電力供給区域一覧図」
写真(右) 付図「強羅土地地割図」

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【参考文献】『箱根登山鉄道のあゆみ』箱根登山鉄道株式会社編 1978年[K68.85/32]
『箱根山の近代交通』加藤利之著 箱根町立郷土資料館企画 神奈川新聞社 1995年[K68.85/113a]

コラム・かながわ・フォーカス
[神奈川の祭り 昭和の記録写真から]

≪天王祭≫藤沢市江の島(八坂神社)

写真撮影日:昭和40年(1965)7月14日 [請求記号:K54]

【解説】
江島神社の末社である八坂神社の祭礼で、祭の名は祭神の牛頭天王に由来します。撮影当時は7月14日に行われていましたが、近年は7月の第2日曜日に開催されています。「天王囃子」ともいわれ、神輿も担がれますが、囃子の構成が特異なことで知られています。安永年間(1772~1780)の吉原俄(よしわらにわか)の風俗画に、当囃子が描かれているとの説があることなどから、江戸時代には知られていたとされます。東町と西町に分かれて、笛・大太鼓・スリ鉦・締太鼓・チャルメラ・三味線・銅鑼・柄太鼓(団扇太鼓)・小鼓により4種類の囃子を奏します。
当囃子の特異な点としてはチャルメラを用いることで、ほかには熊本県八代市の妙見宮祭礼の獅子舞楽に見られる程度です。また、三味線を少女が弾くのも珍しく、少女は鳥追い笠をかぶって首から三味線を吊るします。さらに、柄太鼓の打ち方も「フリバリ」と呼ばれる特殊なもので、上半身を屈め、親指と人差指でバチをつまみ、柄太鼓を擦るように打ち上げます。

写真1
【写真1】チャルメラは6孔で、裏側に
1孔空いています。珊瑚をつけた房
を垂らします。演奏中、締太鼓はゆ
るやかに間拍子を打ちます。
写真2
【写真2】江の島の地は険しくて山車
が曳けないため、屋根を杉の青
葉で葺いた底抜け屋台に、3個
の締太鼓を並べて打ちます。
写真3
【写真3】神輿は島の周囲を一周して
茶屋街を囃子とともに練り、桟橋口
の鳥居際から海に担ぎ入れます。

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【参考文献】
『神奈川県文化財図鑑 第3巻 無形文化財・民俗資料篇』神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課編 1973年[K06/29/3]
『神奈川県民俗芸能誌 増補改訂版』永田衡吉著 錦正社 1987年[K38/15A]