『文学問題〈F+f〉+』 山本貴光著 幻戯書房 2017 資料番号:22979009 請求記号:901/258 OPAC(所蔵検索)
2018年は「明治維新150年」という記念すべき年でした。当館でも「神奈川と明治 ~躍動する神奈川・明治新時代」と題したデジタルアーカイブを公開するなど、さまざまな取り組みを行いました。そんな明治時代を生きた日本を代表する作家に、夏目漱石がいます。今回は、彼の作品を論じた本をご紹介したいと思います。 さて、突然ですが皆さんは「文学とは何ですか?」と問われたら、何と答えますか?なかなか難しい質問なのではないでしょうか。夏目漱石は英国留学から帰国し、東京帝国大学で講師をしていた時に、この「文学とは何か」について論じた講義を行いました。そしてその講義をもとに作成されたのが、『文学論』という作品です。 本書では現代語訳などを交えながら、漱石の文学論を「読み直し」ます。その上で、それを「鵜呑みにする」のではなく、それを「手がかりとして私たち自身の文学の見方を確かめ、更新」しようとします。
本書は3部構成です。第1部では、漱石の数ある文学論のうち、『英文学形式論』と『文学論』の中から重要な箇所を抜粋し、現代語訳と著者による解説を加えながら考察していきます。各ページには、本文の抜粋箇所にまつわる著者からの問い(「一分ほど、自分の意識に生じる変化を観察して書きとめてみよう」など)が設けられているので、より深く作品について理解することができます。 漱石は『文学論』において、「あらゆる文学作品」に共通する「F+f」という理論(「F+f」という式の「F」は「認識すること」、「f」は「認識に伴って生じる情緒」のこと)を提唱しました。第2部では第1部をもとに、著者が選択した古今東西の文学作品を題材として、漱石が提唱したこの理論を検証します。 そして第3部では、第1・2部での検討を踏まえて、『文学論』に不足する部分を補うことで『文学論』を「アップデート」しています。
漱石は文学を、読者の「情緒」を動かし、「幻惑」するものと捉えました。この漱石の指摘をもとに文学について考えてみると、まず作者は読者という不特定多数の人々を「幻惑」することを要求されます。そしてそのために言葉を選択し、その言葉を繋げることによって作品世界を構築します。言葉と話の構成がともに適切なものでなければ、作品として成立しません。そうした作者の「工夫」によって、読者は作品世界へと引き込まれていきます。 ただし例え作者が「工夫」を凝らしたとしても、読者側がそれを受け入れることができなければ、その作品に対する読者の印象は変化します。私は今まで、読者はあくまでも受け手であると感じていました。しかし漱石も述べているように、ある作品が成立する為には「作者側の工夫と読者側の態度」の両方が必要であり、作者と読者のそんな相互関係によって文学作品が成立していることを知りました。
このように考えてみると、文学というものが多くの条件の元で成り立っていることが分かります。漱石は読者を「幻惑」すると簡潔に述べていますが、これはなかなか難しいことのように思います。だからこそ読者である私達は、自分の感情を刺激する作品に出合うと喜びを感じ、時として人にも紹介したくなるのかもしれません。 皆さんも本書を通じて、あらためて文学について考えてみませんか。
(県立図書館職員:琴のそら音)