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新着資料から

『戦国大名北条氏の歴史 小田原開府五百年のあゆみ』
小田原城総合管理事務所編 小和田哲男監修 吉川弘文館 2019年[K28.7/147]

平成30年(2018)は、韮山城を本城としていた伊勢宗瑞(北条早雲)が永正15年(1518)に、小田原城の城代をしていた嫡男・氏綱に家督を相続したことで、小田原が事実上、「小田原北条氏」(以下、北条氏)の本拠地となってから500年目となります。また、昨年は、伊勢宗瑞の没後500年に当たっていました。このことから、小田原市では「北条早雲公顕彰五百年実行委員会」を立ち上げ、さまざまなイベントを開催してきました。本書は、そうしたイベントの中から、北条氏や小田原城などの最新の研究成果を学ぶ「小田原北条セミナー」と、天守閣特別展「小田原開府五百年~北条氏綱から続くあゆみ~」・「伊勢宗瑞の時代」の関連講演会、さらに特別講演会「センゴクで小田原北条氏を語る」の内容をもとに執筆されたものです。また、北条氏以前に小田原城を領有した大森氏や、江戸時代に城主となった大久保氏・稲葉氏の歴史についても触れています。

『長谷川逸子の思考 3 第2の自然 湘南台文化センターという出来事〈1985-1992〉』
長谷川逸子著 左右社 2019年[K52/170/3]

著者は関東学院大学を卒業後、東京工業大学を経て、昭和54年(1979)に長谷川逸子・建築計画工房を設立し、昭和61年(1986)に眉山ホールで日本建築学会賞を受賞しました。『長谷川逸子の思考』は、『ガランドウと原っぱのディテール』(県立川崎図書館所蔵)に収録された比嘉武彦との対談を基礎に、昭和47年(1972)から平成28年(2016)までの論文・作品解説・講演録などを集めたものです。
湘南台文化センターは、長谷川の代表的な作品です。同センターのコンペは、プロポーザル方式の先駆けであり、若い世代の建築家に開かれたものでした。長谷川は昭和61年に最優秀賞を受賞し、日本で初めて公共建築のコンペをとった女性建築家として脚光を浴びました。また、設計進行中に市民と対話集会を繰り返し開いて、公共建築における市民参加への扉を開きました。本書では、その過程や苦労を詳しく知ることができます。

新着の神奈川資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者名 出版者 出版年 請求記号
御朱印さんぽ神奈川横浜・鎌倉の寺社 ぶらり日帰りで、運気アップ! JTBパブリッシング 2020 K18/189
北条氏発給文書の研究 附発給文書目録 北条氏研究会編 勉誠出版 2019 K24.4/307
港町浦賀の幕末・近代 海防と国内貿易の要衝 大豆生田稔編 清文堂出版 2019 K26.31/28
太田道灌と長尾景春 暗殺・叛逆の戦国史 中世武士選書 43 黒田基樹著 戎光祥出版 2020 K28/504
鎌倉街道平成に歩く 塩澤裕著 さきたま出版会 2019 K291/898
いのちを選ばないで やまゆり園事件が問う優生思想と人権 藤井克徳編 池上洋通編 石川満編 井上英夫編 大月書店 2019 K36.54/58
東菅小学校の7年間の物語 思考の「すべ」を獲得した子どもたち hito*yume book 川崎市立東菅小学校授業研究会著 角屋重樹監修 文溪堂 2019 K37.21/381
市民参加の平和都市づくり 田辺勝義著 本の泉社 2020 K51.21/136
長谷川逸子の思考 1 アーキペラゴ・システム 新潟りゅーとぴあ〈1993-2016〉 長谷川逸子著 左右社 2019 K52/170/1
長谷川逸子の思考 2 はらっぱの建築 持続する豊かさを求めて〈1993-2016〉 長谷川逸子著 左右社 2019 K52/170/2
長谷川逸子の思考 4 ガランドウ・生活の装置 初期住宅論・都市論集〈1972-1984〉 長谷川逸子著 左右社 2019 K52/170/4
横浜開港場と内湾社会 山川歴史モノグラフ 37 中尾俊介著 山川出版社 2019 K68.1/353


うちのおたから自慢

『スポーツ生活六十年』
平沼亮三著 慶應出版社 1949年[K78.1/7]

本書は横浜市長を務めた平沼亮三(1879-1959)が生前、自身のスポーツに対する思いや経験談、エピソードを綴ったものです。
著者は、久良岐郡平沼新田(現横浜市西区)に、製塩業の長男として生まれます。明治31年(1898)に慶應義塾大を卒業後、横浜ゴム会社取締役、キリンビール会社監査役、第一ホテル社長などに就任しました。また、明治41年(1908)に県会議員、明治43年(1910)に市議会議員、大正4年(1915)に衆議院議員、昭和7年(1932)に貴族院議員になっています。
スポーツ万能で、在学中は相撲部、野球部に所属していました。卒業後は大正14年(1925)に日本陸上競技連盟会長、昭和5年(1930)に全日本体操連盟会長、昭和8年(1933)に大日本排球(バレーボール)協会会長、昭和13年(1938)に日本送球(ハンドボール)協会会長などを歴任します。1932年ロサンゼルスオリンピック、1936年ベルリンオリンピックでは日本選手団長も務めました。
昭和11年(1936)、IOC委員長のバイエ・ラツールが来日した際には、平沼が歓迎の準備を行い、横浜港で大勢の小学生に旗を持って出迎えさせました。そして大日本体育協会副会長としてラツールの視察に同行し、自宅に招いて鉄棒の技を披露したほか、1940年東京オリンピック開催に関する覚書を交わしています。同年、東京オリンピック組織委員会に参加しました。ヨット競技会場の横浜誘致に関しては、平沼が横浜市と組織委員会の橋渡しとなった、といわれています。
戦後は、昭和26年(1951)に、横浜市長に当選します。昭和30年(1955)に第10回国民体育大会神奈川県大会で炬火リレーのアンカーを務めました。また、文化勲章も授与されています。

写真「著者の始球式」
「神宮球場に於ける
著者の始球式
(昭和十四年九月)」

写真「相撲仲間」
「相撲仲間」
本文に「大正十一年に撮影した當時の土俵仲間で、前列左端か
ら順に、小泉長左衛門君、吉田昌興君、著者、(以下略)」とあります。

写真「著者現役時代の野球部員」
「著者現役時代の野球部員
前列左より石田廣治(外野),著者(三壘),(以下略)」

写真「著者裸像」
「著者裸像
(明治四十四年十一月撮)」

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【参考文献】
・『聖火をかかげて スポ-ツ市長・平沼亮三伝』松本興著 聖火をかかげて刊行会 1963年[K28.1/50]
・「東京オリンピックと横浜1」松本洋幸著 『市史通信 第18号』 横浜市史資料室編 2013年[ZC1082]

コラム・かながわ・フォーカス
[神奈川の祭り 昭和の記録写真から]

≪相模人形芝居(前鳥(さきとり)座)≫平塚市(平塚市農業会館)
県指定無形民俗文化財
写真撮影日:昭和36年(1961)7月8日 [請求記号:K6,K28]

【解説】
江戸時代末から明治時代にかけて相模川、酒匂川沿いに15か所の人形芝居(人形浄瑠璃)の伝承地がありました。現在、残るのは長谷座(厚木市長谷)、林座(厚木市林)、下中座(小田原市小竹)、前鳥座(平塚市四之宮)、足柄座(南足柄市関本)の5か所のみとなっています。操作技法は大阪の文楽と同じ「三人遣(つかい)」で、1体の人形を3人で操ります。しかし、文楽に比べるとカシラ(人形の頭)が小ぶりで、「鉄砲ざし」という江戸系の操法を持つ点が異なります。「鉄砲ざし」とは、やや上向きのカシラを前に突き出して持つ構え方で、鉄砲を撃つ格好に似ていることからそう呼ばれました。この操法は淡路人形・阿波人形と共通しています。
前鳥座は旧称を「四宮の人形」といい、昭和初期に中絶しますが、昭和31年(1956)に平塚市と旧大住郡大野町が合併する際、下中座の長老たちから指導を受け、地元の古社である前鳥神社の名前を採って復活しました。年代を示すものとして、「文政四年」(1821)という墨書きのある人形の肩板が残っています。また、大坂で活躍した人形遣い・吉田朝右衛門が安政3年(1856)ごろ、厚木市林付近に移住して師匠を務めた際には、当地でも指導したといわれており、平塚市四之宮の大念寺には朝右衛門の墓碑が残っています。

写真1
【写真1】写真右の人形に「西
國三十三番 前鳥人 形連大當り」
とあります。

写真2
【写真2】カシラは、明治42年(1909)
に焼失した際、大阪から買い直したも
のです。


写真3
【写真3】太夫と三味線。太夫は物語
を一人で話し、登場人物にもなりきり
ます。

写真4
【写真4】人形の左手には差金という、
糸の付いた棒があり、糸を操作して手
首・指を動かします。

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【参考文献】
・『神奈川県民俗芸能誌 増補改訂版』永田衡吉著 錦正社 1987年[K38/15A]
・『相模人形芝居の世界 秋の特別展』昭和女子大学光葉博物館企画・編集 2016年[K77/53]