飯田九一文庫に収蔵されている"短冊"等の資料をデジタル画像でご紹介します。
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矢田 挿雲(やだ そううん)
- 明治15年(1882年)2月9日から昭和36年(1961年)12月13日
- 石川県金沢市生まれ。
- 九州日報や報知新聞の記者を勤めた後、文筆活動に専念する。学生時代から俳句を始め、正岡子規(PDF形式:6.5MB)が亡くなるまで子規に俳諧を学ぶ。
- 短冊 『梶のうたも 哀れつたなき 女工かな 挿雲』
柳原 極堂(やなぎはら きょくどう)
柳原 極堂(やなぎはら きょくどう)(PDF形式:10.5MB)
- 1867年(慶応3年)2月11日から1957年(昭和32年)10月7日
- 伊予国(愛媛県)温泉郡北京町生まれ。
- 正岡子規(PDF形式:6.5MB)と松山中学で知り合い、明治28年、療養中の子規に俳句の指導を受ける。明治30年、子規とともに月刊俳誌「ほとゝぎす」を創刊するが、後に高浜虚子(PDF形式:17.2MB)に譲る。松山で新聞発行や市会議員を務める。
- 短冊 『満山の ともしに暮るる 桜かな 極堂』
山本 荷兮(やまもと かけい)
- 1648年(慶安元年)から1716年(享保元年)8月25日
- 尾張(愛知県)名古屋生まれ。
- 名古屋で医師をする。「芭蕉七部集」の初期3篇『冬の日』『春の日』『阿羅野』を編集する。新しい蕉風の俳諧になじめず蕉門を離れ、晩年は連歌師となり法橋に叙せられる。
- 短冊 『上有知にて 秋の里 竹きるなりと 響くなり 荷兮』
与謝 蕪村(よさ ぶそん)
- 1716年(享保元年)から1784年(天明3年)12月25日
- 摂津国東成郡(大阪市)生まれ。
- 江戸に出て早野巴人に俳諧を学ぶ。写実的な俳風で中興俳壇の中心となり、晩年は蕉風復興を提唱する。独自の画風(南画)を確立し、池大雅とともに文人画家として活躍する。
- 掛軸 『蕪村断簡』
- <蕪村断簡部分の文> 竹渓法師が丹後へ下るに 立鴫に眠る鴫ありふた法師 雨乞の小町が果やおとし水 山鳥の枝踏かゆる夜長哉 山家の菊見にまかりけるに あるじの翁紙硯をとうでて ホ句もとめれば きくの露受て硯のいのち哉 いでさらば投壺まいらん菊の花
- 『蕪村自筆句帳』(尾形仂/編著 筑摩書房 1974年)に「断簡五」として掲載されている作品