山川菊栄は、1890(明治23)年東京に生まれ、1980年(昭和55)年89歳で亡くなられた、戦前・戦後を通じての女性運動の指導者です。
戦後の1947(昭和22)年9月、労働省の発足と同時に、初代婦人少年局長に就任し、多くの著作や論文を残しました。
山川菊栄は、鎌倉の稲村ガ崎や藤沢の村岡に長年住み、「婦人関係等資料収集委員会」の名誉会長としてかながわ女性センター図書館の女性労働資料の充実に尽力いたしました。
かながわ女性センターでは、山川菊栄の長男の振作氏(元東大教授:故人)より寄贈された蔵書をもとに、1988(昭和63)年11月に「山川菊栄文庫」を開設しました。
山川菊栄文庫は、2015(平成27)年4月のかながわ女性センターの藤沢合同庁舎への移転に伴い、県立図書館に移管されました。
男女共同参画の時代の今、未来につなぐ貴重な橋渡しの役割を果たす山川菊栄の文庫が研究者の利用にとどまらず、若い方をはじめとして広く活用されることを願っています。
山川菊栄さん ―私なりに心に深く残る点を三つあげたいと思う 金森トシエ氏(初代神奈川県立かながわ女性センター館長)
第一は、その時代の著名な男性たちの女性批判の言動に対して、明晰な理論と鋭い舌鋒で容赦なく切り込み反論している文章の迫力である。
私の心に残る第二は、女性の近代の歴史を山川さんの記憶や思い出だけでなく、母親の日記をはじめさまざまな文書・資料をもとに、目の前に情景が浮かび上がるように詳細にいきいきと綴る描写力の豊かさである。
さらに、私が心ひかれる第三は、藤沢で夫婦で暮らしていた時代の、ひとりの村人・生活者・主婦としての確かな、そして柔らかな視点と姿勢である。夫婦は昭和の初め東京から鎌倉稲村ガ崎に転居、思想を守りながら生計を立てるためにうずらの飼育を始めたが、1936(昭和11)年鎌倉郡村岡村(のちの藤沢市弥勒寺)に土地を得て移った。
その村で暮らしの記は、詳細な日々の観察、農民の過去から現在にいたる労働の記録、その背景の社会の流れへの洞察など、まことに具体的かつ複眼的で読む者を引き込まずにおかない。
私は女性センター内の図書館の特徴を女子労働におくこととした。
山川さんが戦後労働省の初代婦人少年局長を務められたことも理由のひとつだが、さらに藤沢市に長年住まわれたご縁などから「山川菊栄文庫」を、ご遺族の協力を得て開設し、1990(平成2)年にはご生誕百年記念の催しも行った。
多くの参加者でにぎわったことも懐かしい思い出である。
引用:「金持ちよりも人持ち・友持ち」(ドメス出版/2003年刊)から