飯田九一文庫に収蔵されている"短冊"等の資料をデジタル画像でご紹介します。
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斉藤 昌三(さいとう しょうぞう)
斉藤 昌三(さいとう しょうぞう)(PDF形式:10.1MB)
- 1887年(明治20年)3月19日から1961年(昭和36年)11月26日
- 神奈川県高座郡座間町(座間市)生まれ。
- 大正13年から茅ケ崎に住み、古書を収集し、明治文学の研究書「現代日本文学大年表」(改造社)を編集した。雑誌「いもづる」や「書物往来」などのほか、昭和6年には書物展望社を設立し『書物展望』を刊行する。本の装丁家としても活躍し、竹(『西園寺公望』)や蓑虫(『書斎の岳人』)を使った装丁が有名である。
- 短冊 『南天の 実を散らし 子等風と去り 少雨叟』
- 少雨叟は斉藤昌三の号
酒井 抱一(さかい ほういつ)
- 1761年(宝暦11年)7月1日から1829年(文政11年)11月29日
- 江戸(東京都)生まれ。
- 播磨(兵庫県)姫路藩主酒井忠仰の子。若い頃から俳諧に親しみ、37歳で出家し、根岸に画房雨華庵を結ぶ。大和絵や浮世絵美人画を狩野高信らに学び、尾形光琳風の絵を描き江戸光琳派の画法を築く。
- 短冊 『見ぬ橋の 咄もゆかし かきつばた 抱一』
笹沢 美明(ささざわ よしあき)
笹沢 美明(ささざわ よしあき)(PDF形式:10.6MB)
- 1898年(明治31年)2月6日から1984年(昭和59年)3月29日
- 神奈川県横浜市生まれ。
- 横浜の富裕な商人の家庭に生まれ育ち、東京外国語学校ドイツ語科卒業後、一週間で勤めをやる。ドイツの詩と詩論を日本に紹介する。
- 飯田九一らと『海市』などを刊行する。青芝友の会会員として俳句を詠む。
- 図書 『歌仙三吟「四季」4篇』
佐藤 紅緑(さとう こうろく)
- 1874年(明治7年)7月6日から1949年(昭和24年)6月3日
- 青森県弘前市生まれ。
- 陸羯南の経営する日本新聞社に入り記者を務める。同僚の正岡子規(PDF形式:6.5MB)の勧めで俳句を始め、俳人として活躍する。その後、劇脚本や新聞連載小説、大衆小説を書き人気作家となる。
- 短冊 『刀根川の ほとりの村の 青田哉 紅』
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ)
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ)(PDF形式:22.9MB)
- 1890年(明治23年)12月3日から1942年(昭和17年)5月15日
- 神奈川県橘樹郡川崎町(川崎市川崎区)生まれ。
- 初め佐藤紅緑(PDF形式:10.9MB)に俳句を学ぶが詩に転じ、大正5年処女詩集『正儀の兜』を出版する。大正14年詩誌『詩之家』を創刊する。歌謡曲「赤城の子守歌」などを作詞し、人気作詞家になる。
- 飯田九一の友人。
- 短冊 『高原の 心ありあざみ 白く咲く 惣』
- 色紙帳 『海宝集』より「魚を釣って詩を逸す」
- 色紙 『赤城の子守唄』
寒川 鼠骨(さむかわ そこつ)
- 1874年(明治7年)10月31日から1954年(昭和29年)8月18日
- 愛媛県松山生まれ。
- 友人の河東碧梧桐(PDF形式:5.5MB)を介して正岡子規(PDF形式:6.5MB)を知る。日本新聞社に入社し、子規から俳句を学ぶ。俳句のほか写生文にもすぐれ、「新囚人」「寒川鼠骨集」などの著作がある。『子規全集』の編集・刊行にかかわり、昭和3年以後台東区根岸の子規庵保存に努める。
- 短冊 『魚か過く 睡蓮うこく つきつきに 鼠』
十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく)
十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく)(PDF形式:12.7MB)
- 1765(明和2年)2月8日から1831年(天保2年)8月7日
- 駿河(静岡県)生まれ。
- 大坂町奉行の配下として大坂へ上るが、武士を止め浄瑠璃の作者となる。後に、江戸に出て版元蔦屋重三郎のもとで、黄表紙、洒落本や滑稽本を書き人気の戯作者となる。
- 短冊 『かかるものの もろくも落つ 鹿の角 いちく』
渋川 玄耳(しぶかわ げんじ)
- 1872年(明治5年)4月28日から1926年(大正15年)4月9日
- 佐賀県杵島郡生まれ。
- 高等文官試験に合格し、裁判官になる。第六師団(熊本)法務官を務めた際、夏目漱石(PDF形式:3.3MB)の俳句結に参加し俳句を詠む。その後、東京朝日新聞社に入り社会部長となり、漱石を東京朝日新聞へ招いたり、朝日歌壇の選者に石川啄木を起用する。
- 短冊 『探梅や 右は椿の 日かげ路 玄耳』
島田 立宇(しまだ りつう)
- 1787年(天明7年)から1866年(慶応2年)11月
- 越後(新潟県)生まれ。
- 江戸に出て遠藤雉啄(PDF形式:9.3MB)に俳諧を学ぶ。天保15年頃10世鴫立庵庵主になる。 また、立宇の死後、妻佳梅尼が庵に留まり、明治4年11月に没するまで、事実上の庵主を務める。
- 短冊 『蕣(あさがお)や 涸む熄見る 今朝の隙 立宇』
下村 為山(しもむら いざん)
- 1865年(慶応元年)5月21日から1949年(昭和24年)7月10日
- 伊予(愛媛県)松山市生まれ。
- 上京して本多錦吉郎、小山正太郎に洋画を学ぶ。正岡子規(PDF形式:6.5MB)と知りあい『ホトトギス』の挿絵などを描く。また、子規に俳句を学び、俳画家としても知られる。
- 短冊 『十六日 十六桜 咲にけり 為山』
松露庵 烏明(しょうろあん うめい)
松露庵 烏明(しょうろあん うめい)(PDF形式:13.9MB)
- 1726年(享保11年)から1801年(享和元年)6月19日
- 江戸(東京都)生まれ。
- 白井鳥酔(PDF形式:14.1MB)に俳諧を学び、鳥酔とともに各地を吟行した。松露庵(2世)昨非窓左明の没後、松露庵3世を継ぐ。
- 短冊 『吉野山にて 花ざかり 扨こそ雲の 芳野山 烏明』
白井 鳥酔(しらい ちょうすい)
白井 鳥酔(しらい ちょうすい)(PDF形式:14.1MB)
- 1701年(元禄14年)から1769年(明和6年)4月4日
- 上総(千葉県)地引村生まれ。
- 享保11年に弟に家督を譲り、剃髪して江戸に出る。佐久間柳居に俳諧を学ぶ。明和3年、3世鴫立庵庵主になる。明和5年母の50回忌のために故郷に帰り、そのまま戻ることなく病没する。
- 短冊 『わかの浦にて たつ鶴を 相図に戻れ 汐干狩 鳥酔』
菅喜田 松頂(すがきた しょうちょう)
菅喜田 松頂(すがきた しょうちょう)(PDF形式:14.5MB)
- 1828年(文政11年)から1889年(明治22年)8月18日
- 江戸(東京都)生まれ。
- 上野寛永寺の重役菅喜田道政に養われ、葎甘介我に俳諧を学ぶ。明治16年12代鴫立庵庵主になる。
- 短冊 『まつの葉は 敷きさへあるに 落葉かき 松頂』
杉坂 百明(すぎさか ひゃくめい)
杉坂 百明(すぎさか ひゃくめい)(PDF形式:14.5MB)
- 不明から1784年(天明4年)7月22日
- 上総(千葉県)東金生まれ。
- 江戸に出て、俳諧を白井鳥酔(PDF形式:14.1MB)に学ぶ。明和6年に鳥酔から4世鴫立庵庵主を引き継ぐ。
- 短冊 『鴫たつ沢眺望 大島に 霞たつ日や 海のおも 百明』
鈴木 華邨(すずき かそん)
- 1860年(安政7年)2月17日から1919年(大正8年)1月3日
- 江戸(東京)生まれ。
- 菊池容斎の弟子中島亨斎(PDF形式:1.6MB)の横浜にあった画塾で日本画を学び、花鳥山水画や挿絵を描く。貿易会社「起立工商会社」に入り陶磁器などの工芸図案も描く。明治40年文展(第1回)に入賞する。
- 短冊 『菖蒲図 華邨』
鈴木 道彦(すずき みちひこ)
- 1757年(宝暦7年)から1819年(文政2年)9月6日
- 陸奥(宮城県)仙台生まれ。
- 加舎白雄(PDF形式:2.1MB)が奥羽を行脚した際に門人となり、俳諧を学ぶ。白雄没後江戸に出て医者を営むかたわら、化政期江戸俳壇で活動する。
- 短冊 『摘芹の 残多さよ あととかは 道彦』
西奴(せいぬ)
- 不明から1793年(寛政5年)8月12日
- 伊勢(三重県)山田生まれ。
- 白井鳥酔(PDF形式:14.1MB)に俳諧を学ぶ。6世鴫立庵庵主となる。俳諧のほか大蔵流狂言や茶道に通じる。
- 短冊 『戸塚なる人の翻亭の帰りに別れを乞けるに即興して 寸の間の たのしみなるぞ ほととぎす せゐぬ』