飯田九一文庫に収蔵されている"短冊"等の資料をデジタル画像でご紹介します。
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内藤 鳴雪(ないとう めいせつ)
- 1847年(弘化4年)4月15日-1926年(大正15年)2月20日
- 伊予(愛媛県)松山藩士の子として江戸(東京都)に生まれる。
- 文部省参事官を経て、旧松山藩主設立の常盤会の寄宿舎監督となる。明治25年、舎生の正岡子規(PDF形式:6.5MB)に俳句を学ぶ。子規没後も新聞「日本」の俳句運動の流れを組む日本派の長老として活躍する。
- 短冊 『引ほどく 朝皃の実の からからに 鳴雪』
永井 荷風(ながい かふう)
- 1879年(明治12年)12月3日から1959年(昭和34年)4月30日
- 東京都生まれ。
- 小説家広津柳浪(PDF形式:5.8MB)の元で文芸修行をする。アメリカ、フランスに外遊し、帰国後「あめりか物語」を発表する。明治43年慶応義塾大学教授になり「三田文学」を創刊する。昭和27年文化勲章を受ける。
- 短冊 『夕風の 吹くともなしに 竹の秋 荷風』
中島 亨斎(なかじま きょうさい)
中島 亨斎(なかじま きょうさい)(PDF形式:1.6MB)
- 1819年(文政2年)から1896年(明治29年)
- 江戸(東京都)生まれ。
- 菊池容斎に日本画を学ぶ。明治初期に横浜に来て画塾を開き、弟子に鈴木華邨(PDF形式:15.2MB)等がいる。主に輸出物用の絵を描き、横浜画壇の重鎮として活動する。一時、飯田家にも居住していたが、晩年は築地にある華邨宅で過ごす。
- 中島亨斎の号の読み方については「きょうさい」と「りょうさい」の2通りあるが、本目録では国会図書館の著者典拠に拠り、「きょうさい」とする。
- 画帳『画暦』より「睦月(万歳)の図」
- 画帳『画暦』より「如月(観梅)の図」
- 画帳『画暦』より「弥生(雛祭)の図
- 画帳『画暦』より「卯月(忍音)の図」
- 画帳『画暦』より「皐月(鯉幟)の図」
- 画帳『画暦』より「水無月(富士)の図」
- 画帳『画暦』より「文月(施餓鬼)の図」
- 画帳『画暦』より「葉月(十五夜)の図」
- 画帳『画暦』より「長月(重陽節句)の図」
- 画帳『画暦』より「神無月(時雨)の図」
- 画帳『画暦』より「霜月(紅葉)の図」
- 画帳『画暦』より「師走(大晦)の図」
- 睦月(万歳)から師走(大晦)までの節句の風景を描いた12葉 。
中島 斌雄(なかじま たけお)
- 1908年(明治41年)10月4日から1988年(昭和63年)3月4日
- 東京生まれ。
- 子供のころから俳諧に親しみ、東大俳句会(草樹会)で高浜虚子(PDF形式:17.2MB)に学ぶ。昭和21年俳誌『麦』を創刊し、主宰する。日本女子大学などで国文学(現代俳句)を教える。
- 短冊 『真白障子 夜の爆音へ ひたと閉じ 斌雄』
中野 三允(なかの さんいん)
- 1879年(明治12年)7月23日から1955年(昭和30年)9月24日
- 幸手宿(埼玉県幸手市)生まれ。
- 薬剤師検定試験に合格し薬局を営むかたわら、正岡子規(PDF形式:6.5MB)に俳諧を学び、早稲田俳句会を創る。地元の埼玉で俳誌『アラレ』を創刊し、埼玉俳会の発展に寄与する。
- 短冊 『箱根全山 蝉の連歌や 宗祗が忌 三允』
中村 草田男(なかむら くさたお)
中村 草田男(なかむら くさたお)(PDF形式:2.6MB)
- 1901年(明治34年)7月24日から1983年(昭和58年)8月5日
- 清国福建省厦門生まれ。
- 昭和4年頃から高浜虚子(PDF形式:17.2MB)に俳句を学び、昭和9年に「ホトトギス」同人となる。昭和21年月刊俳誌「万緑」を創刊し、主宰する。その作風は「人間探究派」とよばれ、昭和俳界に大きな影響を与える。俳人協会初代会長。
- 短冊 『降る雪や 明治は遠く なりにけり 草田男』』
中村 不折(なかむら ふせつ)
- 1866年(慶応2年)7月10日から1943年(昭和18年)6月6日
- 江戸(東京都)京橋生まれ。
- 小山正太郎や浅井忠に洋画を学び、フランスへ留学する。帰国後、太平洋画会で活動し、太平洋美術学校長となる。夏目漱石(PDF形式:3.3MB)『吾輩は猫である』の挿絵を描く。また、書家としても有名で、自宅に書道博物館を作る。
- 短冊 『かれ蘆の 果や小さき つくば山 不せつ』
夏目 漱石(なつめ そうせき)
- 1867年(慶応3年)1月5日から1916年(大正5年)12月9日 江戸(東京都)生まれ。 明治22年正岡子規(PDF形式:6.5MB)と出会い、俳句や漢詩を作る。松山中学、第五高等学校で英語教師をつとめ、明治33年文部省留学生としてイギリスに留学する。明治36年東京帝国大学の講師となり英文学を講じる。明治38年「ホトトギス」に発表した「吾輩は猫である」が好評を博し、職業作家(小説家)となる。
- 短冊 『範頼墓 蒲殿の 愈悲し 枯尾花 漱石』
西山 宗因(にしやま そういん)
- 1605年(慶長10年)から1682年(天和2年)3月28日
- 肥後熊本(熊本県)生まれ。
- 肥後八代城代加藤正方に仕え、京都で里村昌琢に連歌を学ぶ。加藤家改易により浪人し、大坂天満宮の連歌所宗匠となる。俳人として軽妙な句風の談林俳諧を興し、井原西鶴(PDF形式:2.6MB)等が門人にいる。
- 短冊 『いさ桜 われもそなたの 夕あらし 宗因』
二宮 松汀(にのみや しょうちょう)
二宮 松汀(にのみや しょうちょう)(PDF形式:3.8MB)
- 1854年(嘉永元年)4月から1925年(大正14年)11月18日
- 神奈川県中郡土沢村下吉沢(平塚市)生まれ。
- 菅喜田松頂(PDF形式:14.5MB)に俳諧を学ぶ。明治35年に14世鴫立庵庵主になる。
- 短冊 『旅人も 節句せよとや 野きく咲 松汀』