飯田九一文庫に収蔵されている"短冊"等の資料をデジタル画像でご紹介します。

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香川 景樹(かがわ かげき)

香川 景樹(かがわ かげき)(PDF形式:747KB)

  • 1768年(明和5年)4月110日から1843年(天保14年)3月27日
  • 因幡(鳥取県)生まれ。
  • 二条派の歌人香川景柄の養子となるが、文化元年に景柄と離縁し、清水定固に和歌を学ぶ。賀茂真淵の万葉調の和歌に対し、古今和歌調の「調べの説」を唱え桂園派を創る。
  • 短冊 『曳菖蒲 すみよしの 浅さは何の あやめくさ 引手に杜の 根ともかくらん 景樹』

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加藤 武雄(かとう たけお)

加藤 武雄(かとう たけお)(PDF形式:1.3MB)

  • 1888年(明治21年)5月3日から1956年(昭和31年)9月1日
  • 神奈川県津久井郡川尻村(相模原市)生まれ。
  • 新潮社に入社して編集者になり『文章倶楽部』などを編集する。農民文学作家として活躍し農民文芸会を組織する。後に、通俗小説、少女小説の作家となり、中村武羅夫や三上於菟吉とともに『長編三人全集』(新潮社刊)が出版される人気作家となる。
  • 短冊 『我が道は至誠と実行なり 二宮尊徳の語を記す 加藤武雄』

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仮名垣 魯文(かながき ろぶん)

仮名垣 魯文(かながき ろぶん)(PDF形式:1.7MB)

  • 1829年(文政12年)1月6日から1894年(明治27年)11月8日
  • 江戸(東京都)京橋生まれ。
  • 初め戯作者として横浜の開化風俗を盛り込んだ作品『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などを発表し、流行作家となる。明治7年『横浜毎日新聞』の雑報記者となる。明治8年には編集者として『仮名読新聞』を創刊する。
  • 短冊 『永機宗匠の送別を桃斎君の催さるゝに 秦々の 大樹に添ふて 若楓 魯文』

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加舎 白雄(かや しらお)

加舎 白雄(かや しらお)(PDF形式:2.1MB)

  • 1738年(文元3年)8月20日から1791年(寛政3年)9月13日
  • 江戸(東京都)深川生まれ。
  • 信濃上田藩士の子として江戸深川の上田藩邸で生まれる。前田青峨、松露庵烏明(PDF形式:13.9MB)白井鳥酔(PDF形式:14.1MB)に俳諧を学ぶ。明和6年以降諸国を遊歴し、安永3年江戸に戻るが、鳥酔7回忌法要の際に烏明と絶縁する。明和9年再び、江戸に戻り春秋庵を開いて多くの門人を育てる。 天明6年頃、鴫立庵5世庵主になる。
  • 短冊 『葛の葉は ひるを寝る鹿の まくらかな 白雄』

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川合 玉堂(かわい ぎょくどう)

川合 玉堂(かわい ぎょくどう)(PDF形式:6.7MB)

  • 1873年(明治6年)11月24日から1957年(昭和32年)6月30日
  • 愛知県葉栗郡外割田村(木曽川町)生まれ。
  • 四条派(幸野楳嶺)や狩野派(橋本雅邦)について日本画を学ぶ。四条派と狩野派をあわせた独自の画風を確立する。大正4年東京美術学校教授になり、昭和15年文化勲章を受章する。
  • 飯田九一の日本画の師匠。
  • 短冊 『蜻蛉図』(絹本)

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川路 聖謨(かわじ としあきら)

川路 聖謨(かわじ としあきら)(PDF形式:4.9MB)

  • 1801年(享和元年)4月25日から1868年(慶応4年)3月15日
  • 豊後(大分県)日田生まれ。
  • 旗本川路家の養子になり、勘定奉行兼海防掛となる。安政元年伊豆下田で日露和親条約に調印し、安政5年日米修好通商条約締結の勅許を求めるが失敗する。将軍継嗣問題で一時失脚するが、のち外国奉行となる。明治維新の際、短銃で自殺する。
  • 短冊 『雪の声といふことを 夏むしの 窓うつはかり 音するに ゆきとはしらす 夜半の静けさ 聖謨』

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川端 玉章(かわばた ぎょくしょう)

川端 玉章(かわばた ぎょくしょう)(PDF形式:5.2MB)

  • 1842年(天保13年)3月8日から1913年(大正2年)2月14日
  • 京都生まれ。
  • 円山派の中島来章に入門するが、江戸に出てワーグマン、高橋由一に洋画も学ぶ。東京美術学校で円山派の画法を教える。
  • 璋翁は玉章の俳号。
  • 短冊 『まろかたけに 芒伸たり 筒井筒 璋翁』

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河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)

河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)(PDF形式:5.5MB)

  • 1873年(明治6年)2月26日から1937年(昭和12年)2月1日
  • 愛媛県松山市生まれ。
  • 同級生の高浜虚子(PDF形式:17.2MB)とともに正岡子規(PDF形式:6.5MB)から俳句の指導を受ける。子規の没後、新聞「日本」の俳句欄の選者を引継ぐ。明治38年頃から新傾向俳句運動をおこし、季題と定型にとらわれない自由律俳句を詠む。
  • 短冊 『酔うて もたれて 正月の屏風 碧』(絹本)

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岸田 吟香(きしだ ぎんこう)

岸田 吟香(きしだ ぎんこう)(PDF形式:12.6MB)

  • 1833年(天保4年)4月8日から1905年(明治38年)6月7日
  • 美作(岡山県)久米郡生まれ。
  • 江戸に出て漢学者藤森天山の門人となり、幕府から追われ身を隠す。儒官や茶飯屋の主人など世を転々としながら蘭学を学ぶ。眼を患い箕作秋坪の紹介で横浜に来てヘボンの治療を受ける、そして、彼の『和英語林集成』の編纂に協力する。ヘボンより伝授された眼薬の「精錡水(せいきすい)」を販売して訓盲院設立の資金とした。その後、横浜で「新聞の父」ジョセフ彦の『海外新聞』を手伝い記者となる。さらに『横浜新報もしほ草』を発行し、明治6年『東京日日新聞』に参加する。
  • 書(七言絶句) 『舎北晩眺(陸游) 岸吟香』
  • 図書 『横浜新報もしほ草』

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北原 白秋(きたはら はくしゅう)

北原 白秋(きたはら はくしゅう)(PDF形式:6.9MB)

  • 1885年(明治18年)1月25日から1942年(昭和17年)11月2日
  • 熊本県南関町生まれ(福岡県柳川市育ち)。
  • 大学在学中から詩人として注目される。「パンの会」に参加し、耽美主義、象徴詩人として有名になる。歌人、童謡作家として多くの作品を残す。
  • 短冊 『きりさめの こまやかにかかる 猫柳 つくづく見れば 春くれにけり』

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邦枝 完二(くにえだ かんじ)

邦枝 完二(くにえだ かんじ)(PDF形式:7.2MB)

  • 1892年(明治25年)12月28日から1956年(昭和31年)8月2日
  • 東京市麹町区(東京都千代田区)生まれ。
  • 永井荷風に師事して文学作品を発表する。時事新報社、帝劇文芸部に勤めた後文筆活動に専念する。官能的で江戸情緒あふれる作品を書いて流行作家となる。昭和15年、藤沢市鵠沼に転居する。
  • 双竹亭は邦枝完二の号。
  • 短冊 『逢うに馴れて 虫きく夜や すて扇 双竹亭』

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久保田 万太郎(くぼた まんたろう)

久保田 万太郎(くぼた まんたろう)(PDF形式:7.7MB)

  • 1889年(明治22年)11月7日から1963年(昭和38年)5月6日
  • 東京都浅草生まれ。
  • 大学在学中から「三田文学」に小説を発表する。俳句や戯曲も書き、文学座の創立に参加する。文化勲章受賞。
  • 短冊 『霜ばしら しらさぎ空に 群るるなり 万』

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熊谷 守一(くまがい もりかず)

熊谷 守一(くまがい もりかず)(PDF形式:8.1MB)

  • 1880年(明治13年)4月2日から1977年(昭和52年)8月1日
  • 江岐阜県恵那郡(中津川市)生まれ。
  • 東京美術学校を卒業し「文展」に入賞する。独自の画風を築き、特定の会派に属さず自由な画家であり「画壇の仙人」と呼ばれる。
  • 短冊 『心外無別法 熊谷守一』
  • 「心外無別法 しんげにべっぽうなし」は禅語

久村 暁台(くむら きょうたい)

久村 暁台(くむら きょうたい)(PDF形式:8.4MB)

  • 1732年(享保17年)9月1日から1792年(寛政4年)1月20日
  • 尾張(愛知県)名古屋生まれ。
  • 武藤巴雀・白尼父子に俳諧を学び、暮雨巷暁台として門人を集める。与謝蕪村(PDF形式:22.9MB)らとともに蕉風の復興をめざす天明俳諧の中心として活動する。「去来抄」など芭蕉の著作を翻刻する。
  • 短冊 『おほそらに 雁かねくらし 春の月 暁台』

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倉田 葛三(くらた かっさん)

倉田 葛三(くらた かっさん)(PDF形式:8.8MB)

  • 1762年(宝暦12年)から1818年(文政元年)6月12日
  • 信濃(長野県)埴科郡松代生まれ。
  • 郷里で宮本虎杖(PDF形式:9MB)に俳諧を学び、江戸に出て加舎白雄(PDF形式:2.1MB)の門に入る。鴫立庵8代庵主になる。
  • 短冊 『夏の夜や けしきをもたぬ 家もなき 鴫立庵 葛三』

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幸田 露伴(こうだ ろはん)

幸田 露伴(こうだ ろはん)(PDF形式:9.1MB)

  • 1867年(慶応3年)7月23日から1947年(昭和22年)7月30日
  • 江戸(東京都)下谷生まれ。
  • 『風流仏』や『五重塔』などの小説を書き作家なり、尾崎紅葉(PDF形式:751KB)と人気を分かちあう。日露戦争後は史伝や歴史考証の分野で活動し、『芭蕉七部集評釈』などを発表する。昭和12年、第1回文化勲章を受賞する。
  • 短冊 『戌申元旦 御手洗に 松影掬ふ 初神哉 露伴』

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小島 烏水(こじま うすい)

小島 烏水(こじま うすい)(PDF形式:9.4MB)

  • 1873年(明治6年)12月29日から1948年(昭和23年)12月13日
  • 香川県高松市生まれ。
  • 横浜で育ち、横浜商業学校卒業後、横浜正金銀行の行員として勤務する。評論や随筆を書くかたわら、登山を趣味とし日本山岳会を設立する。浮世絵研究者、版画収集家としても有名である。
  • 短冊 『桃咲いて 草になりたる 戸口哉 小島烏水』

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小林 一茶(こばやし いっさ)

小林 一茶(こばやし いっさ)(PDF形式:9.7MB)

  • 1763年(宝暦13年)5月5日から1828年(文政10年)11月19日
  • 信濃(長野県)上水内郡信濃村生まれ。
  • 江戸に奉公に出て、葛飾派の二六庵竹阿に俳諧を学ぶ。その後、四国や九州等を俳諧の修行のため行脚する。晩年は故郷に戻り俗語や方言まじりの生活に根ざす句を詠む。
  • 短冊 『欠椀も 同じ流や 立田川 一茶』

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近藤 浩一路(こんどう こういちろ)

近藤 浩一路(こんどう こういちろ)(PDF形式:9.8MB)

  • 1884年(明治17年)3月20日から1962年(昭和37年)4月27日
  • 山梨県南巨摩郡睦合村南部生まれ。
  • 東京美術学校卒業後も、白馬会研究所で新しい画法を学ぶ。大正4年に読売新聞社に入社し、漫画や挿絵を描く。また、大正10年に日本美術院の同人となり、独自の水墨画を描く。
  • 軸 『肉筆東海道五十三次漫画絵巻(漫画東海道) 』より「箱根」
  • 「箱根 ここははこねの かしの木坂 下に見ゆるは 畑の茶や 浩」

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